「助業」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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:それに善人は善人なから念仏し、悪人は悪人ながら念仏して、ただむまれつきのままにて念仏する人を、念仏にすけささぬとは申す也。([[和語灯録#P--611]]) [[称名]] | :それに善人は善人なから念仏し、悪人は悪人ながら念仏して、ただむまれつきのままにて念仏する人を、念仏にすけささぬとは申す也。([[和語灯録#P--611]]) [[称名]] | ||
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− | とある。この意から[[助業]]の助とは[[念仏]]を資助(資も助も「助ける」の意)する助ける業ではなく、称名に<kana>随伴(ずいはん)</kana>(従い伴う)行とする。いわゆる真宗の儀礼論での助業とは〔なんまんだぶ〕の「本願の念仏には、ひとりたちを せさせて助(すけ) | + | とある。この意から[[助業]]の助とは[[念仏]]を資助(資も助も「助ける」の意)する助ける業ではなく、称名に<kana>随伴(ずいはん)</kana>(従い伴う)行とする。いわゆる真宗の儀礼論での助業とは〔なんまんだぶ〕の「本願の念仏には、ひとりたちを せさせて助(すけ)をささぬ也」から前三後一の<kana>読誦(どくじゅ)</kana>・<kana>観察(かんざつ)</kana>・<kana>礼拝(らいはい)</kana>・<kana>讃嘆供養(さんだんくよう)</kana>を随伴といふ。、 |
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2024年2月14日 (水) 16:23時点における版
じょごう
五正行の中で、称名以外の
六種兼行の場合は称名も正定業としての地位を失って助業と同格になるから、六行すべてを助業という。(愚禿下 P.530)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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じょごう 助業
五正行の中、称名以外の読誦・観察(かんざつ)・礼拝・讃嘆供養のこと。称名の助となり
『和語灯録』諸人伝説の詞に、
とある。この意から助業の助とは念仏を資助(資も助も「助ける」の意)する助ける業ではなく、称名に