「力用」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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の問に答えて、本願の体用を論じておられた。覚如上人の『執持鈔』に「本願や名号、名号や本願、本願や行者、行者や本願」([[執持鈔#P--864|執持鈔 P.864]])とあるのは、この体用の意を引用されたのであろう。 | の問に答えて、本願の体用を論じておられた。覚如上人の『執持鈔』に「本願や名号、名号や本願、本願や行者、行者や本願」([[執持鈔#P--864|執持鈔 P.864]])とあるのは、この体用の意を引用されたのであろう。 | ||
2024年7月7日 (日) 11:55時点における版
りきゆう
「力」とは、「ちから」のことである。「
浄土真宗では、「力」とは『論註』不虚作住持の、
- いふところの「不虚作住持」とは、
本 法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とによるなり。願もつて力を成ず、力もつて願に就 く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符 ひて畢竟じて差 はざるがゆゑに「成就」といふ。(論註 P.131)、(行巻 P.198、(真巻 P.361)
の本願成就の「願力」を指し、その衆生済度のはたらきを用といふ。
なお、法然聖人は『西方指南鈔』四箇条問答で、
- 問。本願について、体用あるべし、その差別いかんぞ。 (四箇条問答)
の問に答えて、本願の体用を論じておられた。覚如上人の『執持鈔』に「本願や名号、名号や本願、本願や行者、行者や本願」(執持鈔 P.864)とあるのは、この体用の意を引用されたのであろう。