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「と、仰せ候ひき」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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 『歎異抄』の、一条から九条まで語尾に「<kana>云云(うんぬん)</kana>」とある。云云とは、引用した文や語句のあとを省略するときに、以下略の意で、その末尾に添える語であるが三条にはこの語がない。このことから三条の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の法語は、法然聖人がおっしゃった、と御開山がおっしゃったというので「と、おおせそうらいき」とされた。<br />
 
 『歎異抄』の、一条から九条まで語尾に「<kana>云云(うんぬん)</kana>」とある。云云とは、引用した文や語句のあとを省略するときに、以下略の意で、その末尾に添える語であるが三条にはこの語がない。このことから三条の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の法語は、法然聖人がおっしゃった、と御開山がおっしゃったというので「と、おおせそうらいき」とされた。<br />
 
大正6年に醍醐寺三宝院で発見された『法然上人伝記』、通称、醍醐本の「三心料簡事および御法語」には漢文で、
 
大正6年に醍醐寺三宝院で発見された『法然上人伝記』、通称、醍醐本の「三心料簡事および御法語」には漢文で、
:善人尚以往生 況悪人乎事<sub>《口伝有之》</sub> →([[三心料簡および御法語の訓読#no27|三心料簡および御法語]])
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:善人尚以往生 況悪人乎事<sub>《口伝有之》</sub> →([[醍醐本法然上人伝記#no27|三心料簡および御法語]])
とあり、三条の冒頭の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と同一の法語がある。いわゆる悪人正機説は法然聖人が淵源であった。<br />
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とあり、三条の冒頭の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と同一の法語がある。いわゆる[[悪人正機]]説は法然聖人が淵源であった。<br />
ただし、このような過激な表現は誤解されやすいので、法然聖人は信頼できる弟子だけに「口伝」として述べられたのであろう。唯円は、御開山からお聞きしたことを文字にしたのであろう。<br />
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ただし、このような過激な表現は誤解されやすいので、法然聖人は信頼できる弟子だけに「口伝」として述べられたのであろう。[[唯円]]は、御開山からお聞きしたことを文字にしたのであろう。<br />
 
蓮如さんが、あとがきで、
 
蓮如さんが、あとがきで、
  
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と記述されたのは、その意であった。
 
と記述されたのは、その意であった。
  
 
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:→[[悪人正機]]
  
 
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2024年9月26日 (木) 20:32時点における最新版

と、おおせそうらいき

 (法然聖人が仰った)と親鸞聖人がおっしゃった。(歎異抄 P.834) 


 『歎異抄』の、一条から九条まで語尾に「云云(うんぬん)」とある。云云とは、引用した文や語句のあとを省略するときに、以下略の意で、その末尾に添える語であるが三条にはこの語がない。このことから三条の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の法語は、法然聖人がおっしゃった、と御開山がおっしゃったというので「と、おおせそうらいき」とされた。
大正6年に醍醐寺三宝院で発見された『法然上人伝記』、通称、醍醐本の「三心料簡事および御法語」には漢文で、

善人尚以往生 況悪人乎事《口伝有之》 →(三心料簡および御法語)

とあり、三条の冒頭の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と同一の法語がある。いわゆる悪人正機説は法然聖人が淵源であった。
ただし、このような過激な表現は誤解されやすいので、法然聖人は信頼できる弟子だけに「口伝」として述べられたのであろう。唯円は、御開山からお聞きしたことを文字にしたのであろう。
蓮如さんが、あとがきで、

右この聖教は、当流大事の聖教となすなり。無宿善の機においては、左右なく、これを許すべからざるものなり。

と記述されたのは、その意であった。

悪人正機