念仏成仏
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
ねんぶつ-じょうぶつ
阿弥陀仏は、第十八願に念仏する者を浄土へ生まれさせるとされているから、本願を信じて念仏を称えることを念仏往生という。 「行巻」では諸師の引文を決釈して、
- あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。 (行巻 P.186)
と「念仏成仏」と結論されている。また「浄土和讃」で、
- 念仏成仏これ真宗
- 万行諸善これ仮門
- 権実真仮をわかずして
- 自然の浄土をえぞしらぬ (浄土 P.569)
と浄土真宗は念仏して成仏する「念仏成仏」の法義であるとされておられる。
御開山は「教巻」には念仏を体とする『無量寿経』を「一乗究竟の極説」(教巻 P.138) と決示され、「行巻」では念仏の利益を「大利無上は一乗真実の利益なり」(行巻 P.189) と讃えておられる。
これを承けて、大行である念仏を「一乗はすなはち第一義乗なり。ただこれ誓願一仏乗なり」(行巻 P.195) と「誓願一仏乗」と呼ばれて一乗海釈(行巻 P.195) を開顕されておられる。この大行である念仏が一乗の教法であるから、「念仏成仏」とされたのであった。→誓願一仏乗
- しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。(行巻 P.189)
と、念仏は大悲の願船である一乗の教法なのであった。