念声是一
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
諸仏が阿弥陀仏の徳を讃嘆している。衆生の称名も衆生が諸仏の徳を讃嘆している。ですから略讃と広讃の違いがある。略讃と広讃の違いがあるけれども、しかし位は同じだという事です。
諸仏称名の称は広讃です。それから衆生の称名は略讃です。だから同じ称だけれども略讃と広讃がある。しかし略讃と広讃と言っても広略不二ですから、そこで衆生の称名と諸仏の称名は位を同じくするという事です。ただこれ(諸仏称名の称)を略讃だとしてしまう説もあるのです。
私の場合は諸仏の称名というのは『大経』の当分は広讃です。宗祖は称の字を使われた時には略讃の意味があります。「諸仏にほめられとなへられんとちかひたまひへる」(唯文 P.703) と「ほめられとなへられん」とあります。あの「ほめる」という日本語は称名の意味では無いです。ですから「ほめられ」の方は広讃です。「となへられん」と言った時は略讃です。それを実は出す事によって親鸞聖人はあそこで第十八願の乃至十念が称名である事を証明しておいでになるのです。つまり『大無量寿経』の中で乃至十念が称名であるという事はどこにも出てないのです。僅かに異訳の方で「南無阿弥陀三耶三佛檀」という『大阿弥陀経』(大阿弥陀経(漢文)#阿難が南無阿弥陀仏を称える) の言葉があります。南無阿弥陀仏と称えたというのが霊山現土[1]の所に出てくる位のものでして。『大経』には称名という事は出てこないのです。 そこで乃至十念が称名であるという事を証明するためには、どうしても『観経』の下々品を持ってきて十念が称名だという事を証明せねばならない。そうしたのが実は善導大師がそうだったのです。それでは通りにくくなるのです。特に法然聖人に対する論難の中に念声是一という釈がありますが、あれを立てたのは曇鸞大師です(浄土論註 (七祖)#十念というときの念の意味)。?
〔なお]念はチッタで心法ではないか。声は色法ではないか。念声是一というのは色法と心法と混同してる。法相を知らない事も甚だしいと言つて論難されたのです(明恵『摧邪輪荘厳記』)。従って本願の乃至十念が称名であるという事を善導大師の言葉で証明したって証明にならないという事になってくるのです。しかも『観経』を持ってきますと違うお経ではないかという事になる。
しかも『観経』を持ってきますと親鸞聖人の場合は隠顕が立つでしょう。難しくなるのです。やっぱり『大経』の上で称名であるという事を証明せねばならない。その『大経』の上で第十八願の乃至十念が称名であるという事を証明するのに十七願を持ってこようとした、その最初の人が聖覚法印なのです。『唯信鈔』の中でそれを言おうとするのです[2]。それと同じ発想の中で展開させている訳です。十七願の中に諸仏に「ほめられとなへられん」と言った時の「となへる」とは称名です。諸仏によって「ほめられとなへられん」という、あの称名の所で衆生の称名を顕わそうとしている訳です。親鸞聖人の場合は「行信一念章」 (親鸞聖人御消息#末灯鈔(11)真蹟「信行一念章」) を見ましても、その次の有阿弥陀仏に対する御消息もそうです。名号を称えん者を救つていく。それを諸仏が讃嘆している。阿弥陀仏もそれを誓い、諸仏もそれを讃嘆している。その事を言うために名号を持ってこられるのです。そういう事があって十八願の乃至十念というものが称名を選択したのだという事を十七願で証明する。それで第十七願に「選択称名之願」という願名が付くのです。あの十七願に「選択称名之願」なんて名前付ける訳がない。それをつけるのです。それは阿弥陀仏が称名を選択し諸仏をして称えよと教えたのだ。こういう風に見ていくのです。それが『一念多念文意』或いは『唯信鈔文意』あたりの宗祖の十七願観なのです。
- ↑ 霊山とは大無量寿経が説かれた。
- ↑ これによりて一切の善悪の凡夫ひとしく生れ、ともにねがはしめんがために、ただ阿弥陀の三字の名号をとなへんを往生極楽の別因とせんと、五劫のあひだふかくこのことを思惟しをはりて、まづ第十七に諸仏にわが名字を称揚せられんといふ願をおこしたまへり。この願ふかくこれをこころうべし。名号をもつてあまねく衆生をみちびかんとおぼしめすゆゑに、かつがつ名号をほめられんと誓ひたまへるなり。しからずは、仏の御こころに名誉をねがふべからず。諸仏にほめられてなにの要かあらん。(唯信鈔#P--1340) とある。