御開山の晩年(80~)の仏身・仏土観は『論註』の法性・方便の二種法身として阿弥陀仏を領解されておられた。法性法身とは、さとりそのものである法性真如を本身とする仏身のことで、「そこでは知る者と知られる者が一つであり、生と死、自と他、愛と憎しみ、善と悪といった二元的な対立を完全に超え、時間的・空間的な制約もありませんから、物事を対象的に捉え、分別し区別することを特徴としている言葉では表せない領域です。(梯實圓著 聖典セミナー『口伝鈔』p.114~
))といわれるように、
あらゆる限定や時間を超えた人間の認識を超越したものであった。それを『一念多念証文』で、
- この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無碍のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、報身如来と申すなり。これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を南無不可思議光仏とも申すなり。
- この如来を方便法身とは申すなり。方便と申すは、かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなはち阿弥陀仏なり。(一多 P.690)
と、一如宝海(一如法性)より「かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふ」のが方便法身としての報身である阿弥陀仏だとされておられる。
この二種法身説以前には『法華経』による久遠実成説を「浄土和讃」で、
- 弥陀成仏のこのかたは
- いまに十劫とときたれど
- 塵点久遠劫よりも
- ひさしき仏とみえたまふ (浄土 P.556)
とされたり『諸経讃』に、
- 久遠実成阿弥陀仏
- 五濁の凡愚をあはれみて
- 釈迦牟尼仏としめしてぞ
- 迦耶城には応現する (浄土 P.572)
と、「久遠実成」の阿弥陀如来として、かって学んだ天台法華の塵点久遠劫という『法華経』の語を用いて「如来常住 悉有仏性」という無始無終の大乗仏教の理を示しておられた。
しかして、最終的には『浄土論註』の法性・方便の二種法身説に拠られたのであった。
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