聞見
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
もんけん
眼見に対する語。
自らの眼で見て明らかに確認することを
『涅槃経』に「見に二種あり。一つには眼見、二つには聞見なり。」(真巻 P.356)とあり、諸仏は一切衆生の
聞とは、阿弥陀仏の名号を聞いて往生即成仏せしめられることを信じよろこぶことをいい『無量寿経』には「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念。(あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。)」(大経P.41)とある。
浄土真宗では、
もんけん
眼見に対する語。
自らの眼で見て明らかに確認することを
『涅槃経』に「見に二種あり。一つには眼見、二つには聞見なり。」(真巻 P.356)とあり、諸仏は一切衆生の
聞とは、阿弥陀仏の名号を聞いて往生即成仏せしめられることを信じよろこぶことをいい『無量寿経』には「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念。(あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。)」(大経P.41)とある。
浄土真宗では、