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信の一念

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2017年9月24日 (日) 17:30時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

しん-の-いちねん

 → 補註7 (真要鈔 P.981)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

信心の開け(おこ)った最初の時のこと、またその信心のすがたを示す語。親鸞は、『大経』第十八願成就文に「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん」(大経 P.41)と説かれている「乃至一念」を信の一念を示す文と位置付けた。この一念に2種の解釈がある。
① 時剋の一念。阿弥陀仏の本願を聞いて疑いなく信受する信心の開け発った最初の時をいう。「信巻」に本願成就文の一念について、「一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり」(信巻 P.250) とある。この極促について2種の解釈がある。一つは「延(のびる)」に対する「促(ちぢまる)」の意で、「ちぢまりきった極限」という意味である。『文類聚鈔』には「往生の心行を獲得する時節の延促について乃至一念といふなり」(浄文 P.480)とある。
もう一つは、「機有奢促者といふは、機に奢促(しゃ-そく)あり、奢はおそきこころなるものあり、促は疾きこころなるものあり」(尊号 P.668) とある。

② 信相の一念。阿弥陀仏の救済を二心(疑心)なく信じることをいう。「信巻」には「一念といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ」(信巻 P.251)とある。(浄土真宗辞典)