往生即成仏
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
おうじょう-そく-じょうぶつ
浄土に往生すればただちに阿弥陀仏と同体の仏果を得るということ。一般的には、浄土は成仏のための修行がしやすい場所とされ、往生した後も仏道修行を積まなければならないと考えられていた。
これに対して御開山は、阿弥陀仏の浄土を完全に煩悩が寂滅した無為涅槃界とし、真実信心の念仏の行者は現生の命を終え阿弥陀仏の浄土に往生すればただちに阿弥陀仏と同体の仏果を得るとされた。
「信巻」真仏弟子釈には、
- まことに知んぬ、弥勒大士は等覚の金剛心を窮むるがゆゑに、竜華三会の暁、まさに無上覚位を極むべし。
- 念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。ゆゑに便同といふなり。しかのみならず金剛心を獲るものは、すなはち韋提と等しく、すなはち喜・悟・信の忍を獲得すべし。これすなはち往相回向の真心徹到するがゆゑに、不可思議の本誓によるがゆゑなり。(信巻 P.264)
と述べられている。そして「和讃」でも、
と、五十六億七千万年後にさとりを開くとされる弥勒菩薩に先立って、阿弥陀仏の本願力によって大般涅槃をさとらしめられるとされていた。
→往生