従果還因
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
じゅうか-げんいん 従果降因ともいう
浄土教の当面では、浄土に往生した菩薩が仏となる修行の一環として他方世界へ赴き衆生を済度するという。
しかし御開山は、往生は即成仏であるから、浄土に往生してさとりを極めたものが、証果の必然として無縁の大悲を起こして衆生済度のため菩薩となり、あるいは、他方世界にあって釈尊のような仏陀のすがたを示現して説法し教化していくとされた。→広門示現相
これを
- 聖道といふは、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり。(消息 P.736)
ともされ、聖道門仏教は浄土から還相した菩薩が修する法門であるともされておられた。真に仏の証を得る仏法は「誓願一仏乗」の他にはないという意であろう。誓願一仏乗が唯一絶対の教法としての絶対教判であるとされる所以である。→(行巻 P.195)
- 安楽無量の大菩薩
- 一生補処にいたるなり
- 普賢の徳に帰してこそ
- 穢国にかならず化するなれ
の和讃の普賢の徳に左訓されて、
- 「われら衆生、極楽にまゐりなば、大慈大悲をおこして十方に至りて衆生を利益するなり。仏の至極の慈悲をまうすなり」
と、されておられるのもその意である。御開山がみておられた浄土は、無住処涅槃の境界であったからである。