十声・一声等
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じっしょういっしょうとう
智昇(ちしょう)撰『
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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諸仏称名、衆生聞名という言葉があるが、御開山は称名に「聞」の意(本願招喚の勅命)を見ておられたのであろう。『一念多念証文』p.694で、『礼讃』の「今信知弥陀本弘誓願 及称名号」(いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること」を釈し、「名号を称すること、十声・一声きくひと」とされた所以である。
なんまんだぶは、衆生が称えて功徳を積むような行ではなく、本願に選択された名号を称えて聞く大行なのである。誰に聞かせるのでもなく、自らが称え自らが聞き、あの阿弥陀如来の覚りの世界から届くのが名号であった。我が名を称えよというご法義は、私の前に顕現している覚りのフロントであったのである。