信心諍論
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
しんじんじょうろん 信心諍論
親鸞が法然の門下で学んでいた時に、親鸞と勢観房、念仏房などとの間にあった信心に関する論争。またそれを記した『御伝鈔』上巻7段(註 1050)の通称。信心一異の諍論ともいい、『歎異抄』(註 851) にも出る。親鸞と法然の信心は同一であると主張すると、勢観房、念仏房らはこれに異を唱え、親鸞をとがめた。このことを聞いた法然は、他力信心は阿弥陀仏からたまわるものであるから、法然自身の信心も親鸞の信心も同じであると示した。(浄土真宗辞典)
法然聖人は『和語灯録』「諸人伝説の詞」に、
- 弁阿上人のいはく、故上人の給はく、われはこれ烏帽子もきざるおとこ也。十悪の法然房が念仏して往生せんといひてゐたる也。又愚痴の法然房が念仏して往生せんといふ也。安房の介といふ一文不通の陰陽師が申す念仏と、源空が念仏と、またくかはりめなしと。{物語集にいでたり}
- ある時 問ていはく、上人の御念仏は、智者にてましませば、われらが申す念仏にはまさりてぞおはしまし候らんとおもはれ候は、ひが事にて候やらん。
- その時、上人御気色あしくなりておほせられていはく、さばかり申す事を用ゐ給はぬ事よ。もしわれ申す念仏の様、風情ありて申候はば、毎日六万遍のつとめむなしくなりて、三悪道におち候はん。またくさる事候はずと、まさしく御誓言候しかば、それより弁阿は、いよいよ念仏の信心を思ひさだめたりき。{同集} (和語灯録#P--606)