信心諍論
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しんじんじょうろん 信心諍論
親鸞が法然の門下で学んでいた時に、親鸞と勢観房、念仏房などとの間にあった信心に関する論争。またそれを記した『御伝鈔』上巻7段(註 1050)の通称。信心一異の諍論ともいい、『歎異抄』(註 851) にも出る。親鸞と法然の信心は同一であると主張すると、勢観房、念仏房らはこれに異を唱え、親鸞をとがめた。このことを聞いた法然は、他力信心は阿弥陀仏からたまわるものであるから、法然自身の信心も親鸞の信心も同じであると示した。(浄土真宗辞典)
法然聖人は『和語灯録』「諸人伝説の詞」に、
- 弁阿上人のいはく、故上人の給はく、われはこれ烏帽子もきざるおとこ也。十悪の法然房が念仏して往生せんといひてゐたる也。又愚痴の法然房が念仏して往生せんといふ也。安房の介といふ一文不通の陰陽師が申す念仏と、源空が念仏と、またくかはりめなしと。{物語集にいでたり}
- ある時 問ていはく、上人の御念仏は、智者にてましませば、われらが申す念仏にはまさりてぞおはしまし候らんとおもはれ候は、ひが事にて候やらん。
- その時、上人御気色あしくなりておほせられていはく、さばかり申す事を用ゐ給はぬ事よ。もしわれ申す念仏の様、風情ありて申候はば、毎日六万遍のつとめむなしくなりて、三悪道におち候はん。またくさる事候はずと、まさしく御誓言候しかば、それより弁阿は、いよいよ念仏の信心を思ひさだめたりき。{同集} (和語灯録#P--606)
と念仏は賢愚、善悪を超えた法であるといわれておられた。なお『論註』には「同一に念仏して別の道なきがゆゑなり(同一念仏 無別同故)」とある。 法然聖人は念仏の信心について、
たゞ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなへば、こゑについて决定往生のおもひをなすべし。その决定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。 かく心えつればやすき也。往生は不定におもへばやがて不定なり、一定とおもへばやがて一定する事なり。
所詮は深信といは、かのほとけの本願は、いかなる罪人をもすてず、ただ名号をとなふる事一声までに、决定して往生すと ふかくたのみて、すこしのうたがひもなきを申す也。
と、自らの心の善悪、罪の軽重もへだてなく、ただ念仏するものを救いたまふ本願であると疑いなく信ずる决定の信心によって往生は定まるとされた。つまり、本願の念仏があらゆる衆生を済度する「法」であるように、念仏往生と信ずる心も、善悪、賢愚を超えた万人済度の法だと御開山の、
- 「善信(親鸞)が信心も聖人(法然)の御信心も一つなり」
の表現を洞察され、
- 善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。されば、ただ一つなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ