久遠実成
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
御開山の晩年(80~)の仏身・仏土観は『論註』の
と、一如宝海(一如法性)より「かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふ」のが方便法身としての報身である阿弥陀仏だとされておられる。
「浄土和讃」で、
とされ『諸経讃』にも、
と、「久遠実成」の阿弥陀如来を、かって学んだ天台法華の塵点久遠劫という『法華経』の語を用いて「如来常住 悉有仏性」という無始無終の大乗仏教の理を示しておられる。御開山の晩年(80~)の仏身・仏土観は『論註』の
と、一如宝海(一如法性)より「かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふ」のが方便法身としての報身である阿弥陀仏だとされておられる。
「浄土和讃」で、
とされ『諸経讃』にも、
と、「久遠実成」の阿弥陀如来を、かって学んだ天台法華の塵点久遠劫という『法華経』の語を用いて「如来常住 悉有仏性」という無始無終の大乗仏教の理を示しておられる。