仏心
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ぶっしん
禅宗のこと。→禅宗 (愚禿上 P.501,尊号 P.668, 後世物語 P.1364)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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ぶっしん 仏心
Ⅰ 仏の大いなる慈悲の心のこと。『観経』には
Ⅱ 仏心宗〔禅宗〕の略。(浄土真宗辞典)
『観経』には。
- この観をなすをば、一切の仏身を観ずと名づく。仏身を観ずるをもつてのゆゑにまた仏心を見る。仏心とは大慈悲これなり。無縁の慈をもつてもろもろの衆生を摂す。
とある。
梯實圓和上は「時々 仏さまが判らないと云う人がいる。そういふ人は大慈悲心を起こせば仏さまが判る。大慈悲心が判れば仏心が判る、仏心が判れば仏身が解る」と云われていたものだ。[1]
これを善導大師は、
- 学仏大悲心(仏の大悲心を学して)玄義分 P.298
と指示されていたのである。
御開山は「諸経讃」で『華厳経』と『涅槃経』を続けて引いて、
(94)
とされておられた。ここでの仏性は仏心とみてよいであろう。
覚如上人は『最要鈔』で、
と、信心は仏心であると述べておられた。信の和訓は、まこと、まかせるとある。