広略相入
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
こうりゃく-そうにゅう
広は浄土の二十九種荘厳、略は一法句を指す。真如法性の略から浄土荘厳の広が生じ、浄土荘厳の広により一法句の徳をあらわす。広略が相互に摂入するありさまを広略相入という。 (証巻 P.321、安楽集 P.199)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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こうりゃくそうにゅう 広略相入
広とは浄土の二十九種荘厳、略とは真如法性である一法句を指し、一法句から二十九種荘厳が生じ、二十九種荘厳により一法句の徳をあらわすという、広と略とが相互に摂入するありさまのこと。曇鸞は『論註』に
- 「上の国土の荘厳十七句と、如来の荘厳八句と、菩薩の荘厳四句とを広とす。入一法句は略とす。なんがゆゑぞ広略相入を示現するとならば、諸仏・菩薩に二種の法身あり」(証巻引文・註 P.321)
と述べ、二種法身を挙げて、阿弥陀仏の浄土が真如法性の徳にかなった世界であることを明らかにしている。→二種法身(浄土真宗辞典)
広略相入 (こうりゃくそうにゅう)
一一の事象が差別的に広く示されている広門と、その差別的なものをつらぬく平等の理を示す略門とが、互いにとけあい通じあっていること。世親の浄土論には、極楽のさまざまのうるわしい事象が、かたちのない真如の理と一体となって互いにおさめあっていることを論じ、曇鸞はこれを解釈して広略の不一不異であることを説く。(仏教学辞典)
『論註』には、
と、浄土の広略相入と二種法身をあげ、阿弥陀如来の浄土は真如法性の徳にかなった世界であることを明かしている。
なお、
- 由法性法身 生方便法身。由方便法身 出法性法身。
- 法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す。
の文から、法性法身と方便法身の不一不異の関係を、由生・由出と浄土真宗の講録などでは漢語で表現する場合もある。
『大智度論』[1]
- 復次略者知諸法一切空無相無作無生無滅等。廣者諸法種種別相分別。如後善知識中說。
- 復た次ぎに、略とは、諸法は、一切空、無相、無作、無生、無滅等なるを知り、広とは、諸法を種種の別相に分別す。後の善知識中に説けるが如し。
とあるによるか。