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聖浄二門

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

しょうじょう-にもん

聖浄二門 しょうじょう-にもん

 聖道門浄土門のこと。道綽は、難行道易行道を聖道・浄土の名目で示し、時との両面から聖道の法門の難証性を指摘し、時期に相応する浄土の一門のみを通入すべき法門とした。浄土門について『安楽集』には「当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。 ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり」(化身土巻引文・註417),(安楽集 P.241) という。
この理解は、釈尊の時代から遠く離れている()、聖道門の教理は深遠であるのに人間の理解能力は微弱である()、という二つの理由と、末法のすがたを説いた『大集経』の文から示されたもので、『安楽集』の約時被機[1]の主題に相応するものである。
法然は『安楽集』に示される聖浄二門の釈を教相判釈として取り上げ、全仏教を聖道門浄土門名目で分類した[2]。すなわち此土での入聖得果を説く既成の諸宗をすべて聖道門に分類し、その聖道門とは別途に、阿弥陀仏本願力による救済を説く浄土門法義があることを明らかにした。
これは聖道門浄土門の違いを示すのみならず、聖道門を捨てて浄土門に帰入すること(捨聖帰浄)を強くすすめる主張である。(浄土真宗辞典)

『安楽集』の第三大門の文は明瞭に教判を示すような筆勢ではなかった。
このために『安楽集』を読む者は多かったのだが、600年の間、聖道門浄土門を分判する教判の文とは読めなかったのであろう。

しかし法然聖人はこの道綽禅師の『安楽集』の、

大乗の聖教によらば、まことに二種の勝法を得てもつて生死を排はざるによる。ここをもつて火宅を出でず。何者をか二となす。
一にはいはく聖道、二にはいはく往生浄土なり。それ聖道の一種は、今の時証しがたし。一には大聖(釈尊)を去れること遥遠なるによる。二には理は深く解は微なるによる。このゆゑに『大集月蔵経』にのたまはく、〈わが末法の時のうちの億々の衆生、行を起し道を修せんに、いまだ一人として得るものあらじ〉と。当今は末法、これ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみありて通入すべき路なり。(安楽集 P.241)

の文を「教相判釈」を示す語とみられた。そして『選択本願念仏集』冒頭の二門章(選択集(P.1183) に引用されて、聖道門に対して浄土門(往生浄土宗)の法義をあきらかにされた。これが三経一論に拠る浄土宗の開宗であった。
御開山が「源空讃」で、

智慧光のちからより
 本師源空あらはれて
 浄土真宗をひらきつつ
 選択本願のべたまふ (高僧 P.595)

と讃詠されておられたとおりである。

浄土宗
二双四重
聖道門
浄土門

  1. 約時被機(やくじ-ひき)。『安楽集』に「明教興所由 約時被機 勧帰浄土 (教興の所由を明かして、時に約し機に被らしめて勧めて浄土に帰せしむ)」とある。仏のさとりを開くために、その法が時代に適しているか(約時)、人々の能力や資質に相応しているか(被機)をいふ。
  2. 『安楽集』の文は明瞭に教判を示すようなものではなかった。しかし法然聖人はこの道綽禅師の『安楽集』の文(安楽集 P.241)を明確に教相判釈を示す語とみられ、聖道門に対して浄土宗を開宗された。