法味
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
ほうみ 法の味わい
ほうみ 法味
仏の教えが甚深で微妙なことを、食物の美味な味わいに喩えた語。『論註』には
- 「種々の法味の楽を受用せしむ」 (証巻引文 P.334、安楽集 P.273)
とあり、
浄土真宗では、本願力回向のご信心を賜ったことを他者に説明する場合に「味わいを述べる」といふ。いわゆる本願力回向のご信心の法味である。
この味わい(法味)ということを昔の布教使は「砂糖が甘いちゅうのは ねぶって(なめて)みんと判らん」と説いていたものである。
これは、一回も砂糖をなめた事のない人に対して、砂糖の甘さの説明はできない。砂糖は甘いんですよと云っても、甘いってどういうことですかといふ問いが返るだけである。甘いといくら云っても砂糖をなめたことのない人に対して、甘いといふことは絶対説明出来ないのである。それは実際になめてみなければ判らないのである。
その意味では味わいを述べあうとは、同じ阿弥陀仏の仏心を回向された一味であり仏心であるようなご信心を賜った者同志で語りあえる事柄であろう。
ともあれ、浄土真宗では蓮如さんがお示しのように、
- 一 一句一言を聴聞するとも、ただ得手に法を聞くなり。ただよくきき、心中のとほりを同行にあひ談合すべきことなりと[云々]。(一代記#P--1275)
と、話しあう(談合)ことをおすすめであった。