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仏作仏行

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

道元禅師は、座禅をしている相が悟りの相であるとし、座禅を仏がなさしめる仏の行だとして仏作仏行と言われた。
それに対して浄土真宗念仏は、第十七願諸仏の「不悉咨嗟 称我名者」(ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは) の讃嘆衆生讃嘆大行称名としてはたらいておられる仏作仏行(仏のなす仏の行)とみるのである。
元来、第十七願の「称我名者」の「称」は諸仏の称揚の意であるが、御開山はこれを、

第十七の願に、「十方無量の諸仏にわがなをほめられん、となへられん」と誓ひたまへる、一乗大智海の誓願成就したまへるによりてなり。((唯文 P.703)

と、「となへられん」と、称える〔なんまんだぶ〕だとされておられた。このように「称我名者」の「称」に、「ほめられん」と「となへられん」の両義を見られて、仏のなす仏の行を行ずるから仏作仏行であり〔なんまんだぶ〕を大行といふのである。