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くう

Ⅰ 空見。善悪因果の道理を空無とする邪見。  (行巻 P.172)


Ⅱ 梵語シューニャター(śūnyatā)の漢訳。もろもろの事物は、因縁(いんねん)に依って仮に和合して存在しているのであって、固定的な実体はないことをいう。無自性と同意。


Ⅲ 梵語アーカーシャ(ākāśa)の漢訳。空間。虚空(こくう)のこと。五大の一。


 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社)
 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社)
 区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。


インクルード ノート

空 シューニヤ(śūnyatā )の訳。舜若(しゅんにゃ)と音写する。また梵語シューニヤター(suññatā)の訳で、舜若多と音写する。
後者は「空なること」の意味であるから、空性とも訳される。また主空神を舜若多神と称する。空とは、一切法は因縁によって生じたものであるから、そこに我体・本体・実体と称すべきものがなく空(むな)しいこと。それ故に諸法皆空といわれる。
このように一切は空であると観見することを空観という。空は虚無(偏空)ではなくて、空を観じることは真実の価値の発見であるから、真空のままに妙有である。これを真空妙有という。 これに反して空の虚無的な理解を悪取空という。空は仏教全般に通じる基本的な教理であり、大乗・小乗の経論で空の教理に関係しないものはないが、その教理の浅深に随って説明の仕方が一様でない。

①二空。

(イ) 人空(実我の空なること。有情の個体の中心に我体と称すべきものがないこと。我空、衆生空、生空、人無我ともいう)と法空(因縁によって生じたものであるから一切の存在自体が空であること、法無我ともいう)。一般には、小乗は人空のみを説いて法空を説かないが、大乗は人法二空(人法二無我、我法二空)を説くといわれる。
(ロ) 析空(存在を分析しつくして、そこにあらわれた空)と体空(当体即空の意味で、存在の当体に即してそのままに空であると体達した空)。小乗と成実宗とは析空を説き、大乗は体空を説くといわれる。
(ハ) 但空(空にかたよって不空の理を知らず、妙有の一面を認めないこと。偏空ともいう)と不但空(空にとらわれないで妙有の一面を認める中道の空。これは一切法には決定された自性は得られないとする空であるから、不可得空ともいう)。

②三空。

(イ) 法相宗では三性の一々に空の義があるとして、これを三空という。即ち凡夫によって妄執された境である遍計所執性が実は空無であることを無性空といい、因縁によって生じた法である依他起性は遍計所執性とは異なって全く無ではないが、凡夫の妄情におけるように有ではないことを異性空といい、真如の理である円成実性が人法二空によって顕された自性であることを自性空という。
(ロ) 人空・法空・倶空(人法二空)の三。

③四空。
法法相空(法相空)・無法無法相空(無法相空)・自法自法相空(自法相空)・他法他法相空(他法相空)(大集経巻五四、大品般若経巻五)。

④六空。
内空(六内処即ち眼などの六根が空であること。受者空、能食空ともいう)・外空(六外処即ち色などの六境が空であること。所受空、所食空ともいう)・内外空(身空、自身空)・空空(空なりと観じることも空であること。能照空ともいう)・大空(十方の世界が空であること。身所住処空ともいう)・第一義空(諸法の外に実相といわれるものの自性がないこと。勝義空、真実空、真境空ともいう)(舎利弗阿昆曇論巻一六)。

⑤七空。
相空(諸法のすがた即ち自相も共相もすべて空であること。自相空ともいう)・性自性空(性[諸法]の自性[実体]が空であること。自性空ともいう)・行空(五薀が我・我所を離れていて因縁によって起こること)・無行空(涅槃は五薀の中にいまだかつて行じたことがないこと。不行空ともいう)・一切法離言説空(一切法は言語に説きあらわすことができず空であること)・第一義聖智大空(果位の聖智註によって見られる第一義空)・彼彼空(彼において此がなく、此において彼がなく、ただ「無い」というだけの浅い意味における空)(四巻楊伽経巻一)。

⑥十空。
内空・外空・内外空・有為空(有為法が空であること)・無為空(無為法即ち涅槃が空であること)・散壊空(仮の集合であるから離散し破壊する相をもっていて空であること。散空ともいう)・本性空(自性が空であること。性空ともいう)・無際空(始めなくして存在する一切の諸法がすべて空であること。無始空、無前後空ともいう)・勝義空・空空(大毘婆沙論巻八)。

⑦十一空。
内空・外空・内外空・有為空・無為空・無始空・性空・無所有空(諸法には決定された自性は求めても得られないから空であること。不可得空ともいう)・第一義空・空空・大空(北本涅槃経巻一六)。

⑧十六空。
内空・外空・内外空・大空・空空・勝義空・有為空・無為空・畢寛空(諸法を空じおわった窮極の空)・無際空・無散空(積み集めた善根を散じ捨てることなく、しかもその善根に執われないで空と観ずること。不捨離空、不捨空ともいう)・本性空・相空(三十二相、八十種好が空であること)・一切法空(一切の仏法が空であること)・無性空(人法二空の故に一物も執着すべきものがないこと)・無性自性空(その無性もまた自性が空であること)(弁中辺論巻上)。

⑨十八空。
内空・外空・内外空・空空・大空・第一義空・有為空・無為空・畢覧空・無始空・散空・性空・自相空・諸法空(一切諸法が空であること)・不可得空・無法空(過去と未来の諸法が空であること)・有法空(現在の諸法が空であること)・無法有法空(大品般若経巻三、大集経巻五四、大智度論巻三一)。
このほかに十二空、十四空、十九空、二十空など種々な形があるが、中でも十八空が最も有名で、「十八空論」という論書もある。(仏教学辞典)

オンライン版 仏教辞典より転送

śūnya शून्य (S)、suñña सूञ्ञ (P)、舜若(しゅんにゃ)と音写。

 固定的実体の無いこと。実体性を欠いていること。原語のシューニヤは、「…を欠いていること」という意味である。

 インドの数学では、インド人が世界史上最初に発見したゼロを表す。このゼロという数により、たとえば十進法が可能となり、負数(マイナス)の概念も確立し、それはアラビアを通じて近代のヨーロッパに伝えられ、近代数学が誕生し、現代の自然科学や技術その他も開発され進展した。
 このśūnyaはśū(=śvā、śvi =膨張する)からつくられた śūna にもとづいて、空虚、欠如、ふくれあがって内部がうつろなどを意味し、初期の仏典にも登場する。

仏典の用例

自我に執着する見解を破り、世間を空として観察せよ 『スッタニパータ(1119)』
空虚な家屋に入って心を鎮める 『法句経(373)』
この講堂には牛はいない、牛についていえば空(欠如)である。しかし比丘がおり、比丘についていえば空ではない(残るものがある) (小空経)『中部121経、中阿含経(巻49)』

 欠如と残るものとの両者が、「空」の語の使用と重なり説かれる。これから「空」の観法という実践が導かれて、空三昧は無相三昧と無願三昧とを伴い、この三三昧を三解脱門とも称する。
 またこの用例は特に中期以降の大乗仏教において復活され、その主張を根拠づけた。
 また(大空経)『中部122経、中阿含経(巻49)』は「空」の種々相、内空と外空と内外空との三空などを示す。さらに、縁起思想との関係を示唆する資料もある『相応部20-7、雑阿含経(1258経)』。部派仏教における「空」の用例も初期仏教とほぼ同じで、「空」が仏教の中心思想にまでは達していない。

般若経の空

 大乗(マハーヤーナ)の説が般若経で初めて説かれると、ここでは「空」が反復して主張された。それはこの経の批判の対象となった説一切有部が一種の固定した型に膠着化したことによる。ここでは「空」は厳しい否定を表し、いっさいの固定を排除し尽くす。

龍樹の空観

 この「空」の理論の大成は龍樹によって果たされた(『中論』など)。
 龍樹は、あらゆる存在・運動・機能・要素その他、さらに、それぞれを表現する言葉そのものについて、各々がきわめて複雑多様な関係性(=縁起)の上に成立し、しかもその関係性は相互矛盾・否定をはらみつつ依存し合うことを明確に論じ、それは日常世界にまで及ぶ。
 ここに諸要素などの実体視による自性(それ自身で存在する独立の実体)が完全に消滅し去り、その根拠と実態を「空」と押え、こうして縁起―無自性―空という系列が確立し、また言葉も一種の過渡的なとして容認される。

衆因縁生の法は、我れ即ち是れを無(空)なりと説く。亦た是れを仮名と為す。亦た是れ中道の義なり。未だ嘗て一法として。因縁拠り生ぜざるもの有らず。是の故に一切法は、是れ空ならざる者なし    〔観四諦品第24 T30-33b〕
「śūnya」は形容詞であり、その名詞形の「śūnyatā शून्यता」は、空、空性、空であること、と訳される。