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至心

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

ししん

 まことの心。真実心。

Ⅰ 『大経』第十八願の三心の一。阿弥陀仏の衆生を救済せんとする真実心。→三心(さんしん)。

Ⅱ 『大経』第十九願第二十願の至心。自力の真実心。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

「信巻」至心釈に、

この至心はすなはちこれ至徳の尊号をその体とせるなり。 (信巻 P.232)

とある。

往生の因願には三願がある。

「至心信楽之願 正定聚之機」
「至心発願之願 {邪定聚機 双樹林下往生}」
「至心回向之願 {不定聚機 難思往生}」

であり、御開山は第十八願の「信巻」の標挙には「至心信楽之願 正定聚之機」とし、化巻では第十九願を「至心発願之願 {邪定聚機 双樹林下往生}」、第二十願を「至心回向之願 {不定聚機 難思往生}」とされていた。
この三願は、至心と欲生我国は共通だが、中間の信楽、発願、回向に依ってそれぞれ至心の意味が異なる。第十八願では衆生を済度しようという阿弥陀仏の至心(至徳の尊号が体)を信楽(受容する)という意味。第十九願は菩提心を発し諸々の功徳を修しての至心、第二〇願の至心は、自らに先行する本願力回向の救済を疑惑し諸々の徳本を植えて往生を願う自力の法門をいふ。

機無・円成・回施・成一