「勢至獲念仏円通」の版間の差分
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[[無量光]]と名づく。十二の如来、一劫にあひ継ぎ、その最後の仏を[[超日月光]]と名づく。かの仏、われに[[念仏三昧]]を教へたまふ。 乃至 もし衆生、心に仏を憶ひ仏を念ずれば、現前・当来にかならずさだめて仏を見たてまつらん。仏を去ること遠からず、方便をからず、おのづから心開かるることを得ん。 | [[無量光]]と名づく。十二の如来、一劫にあひ継ぎ、その最後の仏を[[超日月光]]と名づく。かの仏、われに[[念仏三昧]]を教へたまふ。 乃至 もし衆生、心に仏を憶ひ仏を念ずれば、現前・当来にかならずさだめて仏を見たてまつらん。仏を去ること遠からず、方便をからず、おのづから心開かるることを得ん。 | ||
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+ | 法然聖人は大勢至菩薩の生まれ変わりといわれていた。 |
2023年7月24日 (月) 21:09時点における最新版
せいしぎゃくねんぶつえんずう…
「勢至念仏円通を獲たり。大勢至法王子、その同倫の五十二菩薩と、すなはち座より起ち、仏足を頂礼して仏にまうしてまうさく、われ往昔の恒河沙劫を憶ふに、仏ありて世に出でます。
無量光と名づく。十二の如来、一劫にあひ継ぎ、その最後の仏を超日月光と名づく。かの仏、われに念仏三昧を教へたまふ。 乃至 もし衆生、心に仏を憶ひ仏を念ずれば、現前・当来にかならずさだめて仏を見たてまつらん。仏を去ること遠からず、方便をからず、おのづから心開かるることを得ん。
染香人の身に香気あるがごとし。これすなはち名づけて香光荘厳といふ。われもと因地にして、念仏の心をもつて無生忍に入る。いまこの界において、念仏の人を摂して浄土に帰せしむ」(尊号 P.647)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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法然聖人は大勢至菩薩の生まれ変わりといわれていた。