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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | 教法をそのまま仰ぎ受け容れないで、教法の[[道理]] | + | 教法をそのまま仰ぎ受け容れないで、教法の[[道理]]を論理的に理解して信じるのを[[解信]]といい、ひたすら〔阿弥陀仏の信(まこと)〕を仰ぐことを「<kana>[[仰信]](ごうしん)</kana>」という。<br /> |
− | + | 法然聖人は『[[西方指南抄]]』所収の「浄土宗大意」で、 | |
− | :聖道門の修行は、智慧をきわめて[[生死]]をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる。→[[ | + | :聖道門の修行は、智慧をきわめて[[生死]]をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる。→([[西方指南抄#P--1026|「浄土宗大意」p.1026]]) |
− | + | といわれていた。[[聖道門]]を[[解信]]、[[浄土門]]を[[仰信]]であるとみられていたのであろう。「智慧第一の法然房」とたたえられた法然聖人であったが、仏果を得る成仏道については「愚痴にかへりて極楽に生まる」と選択本願による仰信の浄土門を示されていた<ref>『醍醐本法然上人伝記』[[醍醐本法然上人伝記#no5|(*)]]には、天台の顕真座主の、生死を解脱すべき道についての問いに答えられ「成仏、難しといえども往生は得易きなり」とされ、浄土教における成仏道を示しておられた。</ref>。<br /> | |
御開山は、その法然聖人の示して下さった[[念仏往生]]の教えを『歎異抄』では、 | 御開山は、その法然聖人の示して下さった[[念仏往生]]の教えを『歎異抄』では、 | ||
− | : | + | :親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。→[[義なきを義とす]] |
と、愚直に〔なんまんだぶ〕を称えるだけで別の[[子細]]はないといわれていた。 | と、愚直に〔なんまんだぶ〕を称えるだけで別の[[子細]]はないといわれていた。 | ||
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2024年11月13日 (水) 02:03時点における最新版
げしん
教法をそのまま仰ぎ受け容れないで、教法の道理を論理的に理解して信じるのを解信といい、ひたすら〔阿弥陀仏の信(まこと)〕を仰ぐことを「
法然聖人は『西方指南抄』所収の「浄土宗大意」で、
- 聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる。→(「浄土宗大意」p.1026)
といわれていた。聖道門を解信、浄土門を仰信であるとみられていたのであろう。「智慧第一の法然房」とたたえられた法然聖人であったが、仏果を得る成仏道については「愚痴にかへりて極楽に生まる」と選択本願による仰信の浄土門を示されていた[1]。
御開山は、その法然聖人の示して下さった念仏往生の教えを『歎異抄』では、
- 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。→義なきを義とす
と、愚直に〔なんまんだぶ〕を称えるだけで別の子細はないといわれていた。
- →仰信
- →因分可説/果分不可説
- →義なきを義とす