操作

「正信偈大意」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

(正信偈大意)
 
(他の1人の利用者による、間の1版が非表示)
1行目: 1行目:
 +
<pageNO></PageNo>
 +
 
<span id="P--1019"></span>
 
<span id="P--1019"></span>
 本書は、表題が示すように、親鸞聖人の『教行信証』「行巻」の一番最後に置かれる「正信念仏偈」の文意を簡明に解説されたものである。
+
{{Kaisetu| 本書は、表題が示すように、親鸞聖人の『教行信証』「行巻」の一番最後に置かれる「正信念仏偈」の文意を簡明に解説されたものである。
 
+
 
 第8代宗主蓮如上人には漢文体の『正信偈註』と『正信偈註釈』との著作があるが、いずれも本書以前の撰述と推定されている。
 
 第8代宗主蓮如上人には漢文体の『正信偈註』と『正信偈註釈』との著作があるが、いずれも本書以前の撰述と推定されている。
 
+
 本書は、その多くを存覚上人の『六要鈔』の解釈をうけ、それに準拠しながらも、より平易に釈されている。初めにまず「正信偈」1部を2段に分けて釈すべきことを述べ、前段は『大経』の意、後段は七高僧の意をあらわされたものとするなど、「正信偈」の見方の基本を示されたものといえる。次いで題号を釈し、本文を追って解釈を施されるが、そのなかに随所に蓮如上人独自の釈義をうかがうことができる。}}
 本書は、その多くを存覚上人の『六要鈔』の解釈をうけ、それに準拠しながらも、より平易に釈されている。初めにまず「正信偈」1部を2段に分けて釈すべきことを述べ、前段は『大経』の意、後段は七高僧の意をあらわされたものとするなど、「正信偈」の見方の基本を示されたものといえる。次いで題号を釈し、本文を追って解釈を施されるが、そのなかに随所に蓮如上人独自の釈義をうかがうことができる。
+
  
 
<span id="P--1020"></span>
 
<span id="P--1020"></span>
 
<span id="P--1021"></span>
 
<span id="P--1021"></span>
 +
<div id="arc-disp-base">
 
==正信偈大意==
 
==正信偈大意==
 
   正信偈大意
 
   正信偈大意
144行目: 145行目:
 
 「[[極重悪人…|極重悪人唯称仏]]」といふは、極重の悪人は他の方便なし、ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得よといへる文のこころなり。
 
 「[[極重悪人…|極重悪人唯称仏]]」といふは、極重の悪人は他の方便なし、ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得よといへる文のこころなり。
  
 「[[我亦在彼…我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我]]」といふは、真実信心をえたるひとは、身は娑婆にあれどもかの摂取の光明のなかにあり。しかれども、煩悩まなこを[[さへて]]をがみたてまつらずといへども、弥陀如来は[[ものうきことなく]]して、つねにわが身を照らしましますといへるこころなり。
+
 「[[我亦在彼…|我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我]]」といふは、真実信心をえたるひとは、身は娑婆にあれどもかの摂取の光明のなかにあり。しかれども、煩悩まなこを[[さへて]]をがみたてまつらずといへども、弥陀如来は[[ものうきことなく]]して、つねにわが身を照らしましますといへるこころなり。
  
  
161行目: 162行目:
 
 [時に[[長禄第四の天]]、[[林鐘]]のころ、筆を染めをはりぬ。]
 
 [時に[[長禄第四の天]]、[[林鐘]]のころ、筆を染めをはりぬ。]
 
<span id="P--1040"></span>
 
<span id="P--1040"></span>
 +
 +
</div>

2016年12月20日 (火) 22:09時点における最新版

 本書は、表題が示すように、親鸞聖人の『教行信証』「行巻」の一番最後に置かれる「正信念仏偈」の文意を簡明に解説されたものである。

 第8代宗主蓮如上人には漢文体の『正信偈註』と『正信偈註釈』との著作があるが、いずれも本書以前の撰述と推定されている。

 本書は、その多くを存覚上人の『六要鈔』の解釈をうけ、それに準拠しながらも、より平易に釈されている。初めにまず「正信偈」1部を2段に分けて釈すべきことを述べ、前段は『大経』の意、後段は七高僧の意をあらわされたものとするなど、「正信偈」の見方の基本を示されたものといえる。次いで題号を釈し、本文を追って解釈を施されるが、そのなかに随所に蓮如上人独自の釈義をうかがうことができる。

正信偈大意

   正信偈大意


【1】 そもそもこの「正信偈」といふは、句のかず百二十、行のかず六十なり。これは三朝高祖の解釈によりて、ほぼ一宗大綱の要義をのべましましけり。この偈のはじめ「帰命」といふより「無過斯」といふにいたるまでは、四十四句二十二行なり。これは『大経』のこころなり。「印度」以下の四句は、総じて三朝の祖師、浄土の教をあらはすこころを標したまへり。また「釈迦」といふより偈のをはるまでは、これ七高祖の讃のこころなり。

 問うていはく、「正信偈」といふは、これはいづれの義ぞや。

 答へていはく、「正」といふは、傍に対し、邪に対し、雑に対することばなり。「信」といふは、疑に対し、また行に対することばなり。


【2】 「帰命無量寿如来」といふは、寿命の無量なる体なり、また唐土(中国)のことばなり。阿弥陀如来に南無したてまつれといふこころなり。「南無不可思議光」といふは、智慧の光明のその徳すぐれたまへるすがたなり。「帰命無量寿如来」といふは、すなはち南無阿弥陀仏の体なりとしらせ、この南無阿弥陀仏と申すは、こころをもつてもはかるべからず、ことばをもつても説きのぶべからず、この二つの道理きはまりたるところを南無不可思議光とは申したてまつるなり。これを報身如来と申すなり、これを尽十方無碍光如来となづけたてまつるなり。「この如来を方便法身とは申すなり。方便と申すは、かたちをあらはし、御名をしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなはち阿弥陀仏なり。この如来は光明なり、光明は智慧なり、智慧はひかりのかたちなり、智慧またかたちなければ不可思議光仏と申すなり。この如来、十方微塵世界にみちみちたまへるがゆゑに無辺光仏と申す。しかれば世親菩薩(天親)は〈尽十方無碍光如来〉(浄土論)となづけたてまつりたまへり」(一多証文)。されば、この如来に南無し帰命したてまつれば、摂取不捨のゆゑに真実報土の往生をとぐべきものなり。


【3】 「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪」といふは、「世自在王仏」と申すは、弥陀如来のむかしの師匠の御ことなり。しかればこの仏のみもとにして、二百一十億の諸仏の浄土のなかの善悪を覩見しましまして、そのなかにわろきをばえらびすて、よきをばえらびとりたまひて、わが浄土としましますといへるこころにてあるなり。

 「建立無上殊勝願 超発希有大弘誓」といふは、諸仏の浄土をえらびとりて西方極楽世界の殊勝の浄土を建立したまふがゆゑに、超世希有の大願とも、また横超の大誓願とも申すなり。

 「五劫思惟之摂受」といふは、まづ一劫といふは、たかさ四十里ひろさ四十里の石を、天人の羽衣をもつて、そのおもさ、銭一つの四つの字を一つのけて三つの字のおもさなるをきて、三年に一度くだりてこの石をなで尽せるを一劫といふなり。これを五つなで尽すほど、阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘と申せしとき、思惟してやすきみのりをあらはして、十悪・五逆の罪人も五障・三従の女人をも、もらさずみちびきて浄土に往生せしめんと誓ひましましけり。

 「重誓名声聞十方」といふは、弥陀如来、仏道をなりましまさんに、名声十方に聞えざるところあらば、正覚を成らじと誓ひましますといへるこころなり。


【4】 「普放無量無辺光」といふより「超日月光」といふにいたるまでは、これ十二光仏の一々の御名なり。

無量光仏」といふは利益の長遠なることをあらはす、過現未来にわたりてその限量なし、数としてさらにひとしき数なきがゆゑなり。

「無辺光仏」といふは、照用の広大なる徳をあらはす、十方世界を尽してさらに辺際なし、縁として照らさずといふことなきがゆゑなり。

「無碍光仏」といふは、神光の障碍なき相をあらはす、人法としてよくさふることなきがゆゑなり。碍において内外の二障あり。外障といふは、山河大地・雲霧煙霞等なり。内障といふは、貪・瞋・痴等なり。「光雲無碍如虚空」(讃阿弥陀仏偈)の徳あれば、よろづの外障にさへられず、「諸邪業繋無能碍者」(定善義)のちからあれば、もろもろの内障にさへられず。かるがゆゑに天親菩薩は「尽十方無碍光如来」(浄土論)とほめたまへり。

「無対光仏」といふは、ひかりとしてこれに相対すべきものなし、もろもろの菩薩のおよぶところにあらざるがゆゑなり。

「炎王光仏」といふは、または光炎王仏と号す。光明自在にして無上なるがゆゑなり。『大経』(下)に「猶如火王 焼滅一切 煩悩薪故」と説けるは、このひかりの徳を嘆ずるなり。火をもつて薪を焼くに、尽さずといふことなきがごとく、光明の智火をもつて煩悩の薪を焼くに、さらに滅せずといふことなし。三途黒闇の衆生も光照をかうぶり解脱を得るは、このひかりの益なり。

「清浄光仏」といふは、無貪の善根より生ず。かるがゆゑにこのひかりをもつて衆生の貪欲を治するなり。

「歓喜光仏」といふは、無瞋の善根より生ず、かるがゆゑにこのひかりをもつて衆生の瞋恚を滅するなり。

「智慧光仏」といふは、無痴の善根より生ず、かるがゆゑにこのひかりをもつて無明の闇を破するなり。

「不断光仏」といふは、一切のときに、ときとして照らさずといふことなし。三世常恒にして照益をなすがゆゑなり。

「難思光仏」といふは、神光の相をはなれてなづくべきところなし、はるかに言語の境界にこえたるがゆゑなり。こころをもつてはかるべからざれば「難思光仏」といひ、ことばをもつて説くべからざれば「無称光仏」と号す。

『無量寿如来会』(上)には難思光仏をば「不可思議光」となづけ、無称光仏をば「不可称量光」といへり。

「超日月光仏」といふは、日月はただ四天下を照らして、かみ上天におよばず、しも地獄にいたらず。仏光はあまねく八方上下を照らして障碍するところなし、かるがゆゑに日月に超えたり。さればこの十二光を放ちて十方微塵世界を照らして衆生を利益したまふなり。

 「一切群生蒙光照」といふは、あらゆる衆生、宿善あればみな光照の益にあづかりたてまつるといへるこころなり。

 「本願名号正定業」といふは、第十七の願のこころなり。十方の諸仏にわが名をほめられんと誓ひましまして、すでにその願成就したまへるすがたは、すなはちいまの本願の名号の体なり。これすなはち、われらが往生をとぐべき行体なりとしるべし。

 「至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」といふは、第十八の真実の信心をうればすなはち正定聚に住す、そのうへに等正覚にいたり大涅槃を証することは、第十一の願の必至滅度の願成就したまふがゆゑなり。これを平生業成とは申すなり。されば正定聚といふは不退の位なり、これはこの土の益なり。滅度といふは涅槃の位なり、これはかの土の益なりとしるべし。『和讃』(高僧和讃・二〇)にいはく、「願土にいたればすみやかに 無上涅槃を証してぞ すなはち大悲をおこすなり これを回向となづけたり」といへり。これをもつてこころうべし。


【5】 「如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言」といふは、釈尊出世の元意は、ただ弥陀の本願を説きましまさんがために世に出でたまへり。五濁悪世界の衆生、一向に弥陀の本願を信じたてまつれといへるこころなり。

 「能発一念喜愛心」といふは、一念歓喜の信心のことなり。

 「不断煩悩得涅槃」といふは、願力の不思議なるがゆゑに、わが身には煩悩を断ぜざれども、仏のかたよりはつひに涅槃にいたるべき分に定まるものなり。

 「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」といふは、凡夫も聖人も五逆も謗法も、斉しく本願の大智海に回入すれば、もろもろの水の海に入りて一味なるがごとしといへるこころなり。

 「摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」といふは、弥陀如来、念仏の衆生を摂取したまふひかりはつねに照らしたまひて、すでによく無明の闇を破すといへども、貪欲と瞋恚と、雲・霧のごとくして真実信心の天に覆へること、日光のあきらかなるを、雲・霧の覆ふによりてかくすといへども、そのしたはあきらかなるがごとしといへり。

 「獲信見敬大慶喜」といふは、法をききてわすれず、おほきによろこぶひとをば、釈尊は「わがよき親友なり」(大経・下)とのたまへり。

 「即横超截五悪趣」といふは、一念慶喜の心おこれば、願力不思議のゆゑに、すなはちよこさまに自然として地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天のきづなを截るといへるこころなり。

 「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華」といふは、一切の善人も悪人も、如来の本願を聞信すれば、釈尊はこのひとを「広大勝解のひと」(如来会・下)なりといひ、また「分陀利華」(観経)にたとへ、あるいは「上上人」(散善義)なりとも、「希有人」(同)なりともほめたまへり。

 「弥陀仏本願念仏 邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯」といふは、弥陀如来の本願の念仏をば、邪見のものと驕慢のものと悪人とは、真実に信じたてまつること難きがなかに難きこと、これに過ぎたるはなしといへるこころなり。


【6】 「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機」といふは、印度西天といふは天竺なり、中夏といふは唐土(中国)なり、日域といふは日本のことなり。この三国の祖師等、念仏の一行をすすめ、ことに釈尊出世の本懐は、ただ弥陀の本願をあまねく説きあらはして、末世の凡夫の機に応じたることをあかしましますといへるこころなり。


【7】 「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽」といふは、この龍樹菩薩は八宗の祖師、千部の論師なり。釈尊の滅後五百余歳に出世したまふ。釈尊これをかねてしろしめして、『楞伽経』に説きたまはく、「南天竺国に龍樹といふ比丘あるべし、よく有無の邪見を破して、大乗無上の法を説きて、歓喜地を証して安楽に往生すべし」と未来記したまへり。

 「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」といふは、かの龍樹の『十住毘婆沙論』に、念仏をほめたまふに二種の道をたてたまふ。一つには難行道、二つには易行道なり。その難行道の修しがたきことをたとふるに、陸地のみちを歩ぶがごとしといへり、易行道の修しやすきことをたとふるに、水のうへを船に乗りてゆくがごとしといへり。

 「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」といふは、本願力の不思議を憶念するひとは、おのづから必定に入るべきものなりといへるこころなり。

 「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」といふは、真実の信心を獲得せんひとは、行住坐臥に名号を称へて、大悲弘誓の恩徳を報じたてまつるべしといへるこころなり。


【8】 「天親菩薩造論説 帰命無碍光如来」といふは、この天親菩薩も龍樹とおなじく千部の論師なり。仏滅後九百年にあたりて出世したまふ。『浄土論』一巻を造りて、あきらかに三経の大意をのべ、もつぱら無碍光如来に帰命したてまつりたまへり。

 「依修多羅顕真実 光闡横超大誓願 広由本願力回向 為度群生彰一心」といふは、この菩薩、大乗経によりて真実を顕す、その真実といふは念仏なり。横超の大誓願をひらきて、本願の回向によりて群生を済度せんがために、論主(天親)も一心に無碍光に帰命し、おなじく衆生も一心にかの如来に帰命せよとすすめたまへり。

 「帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数」といふは、大宝海といふは、よろづの衆生をきらはず、さはりなく、へだてず、みちびきたまふを、大海の水のへだてなきにたとへたり。この功徳の大宝海に帰入すれば、かならず弥陀大会の数に入るといへるこころなり。

 「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身」といふは、蓮華蔵世界といふは安養世界のことなり。かの土にいたりなば、すみやかに真如法性の身をうべきものなりといふこころなり。

 「遊煩悩林現神通 入生死園示応化」といふは、これは還相回向のこころなり。弥陀の浄土にいたりなば、娑婆にもまたたちかへり、神通自在をもつて、こころにまかせて、衆生をも利益せしむべきものなり。


【9】 「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼」といふは、曇鸞大師はもとは四論宗のひとなり。四論といふは、三論に『智論』をくはふるなり。三論といふは、一つには『中論』、二つには『百論』、三つには『十二門論』なり。和尚(曇鸞)はこの四論に通達しましましけり。さるほどに、梁国の天子蕭王は御信仰ありて、おはせし方につねに向かひて、曇鸞菩薩とぞ礼しましましけり。

 「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」といふは、かの曇鸞大師、はじめは四論宗にておはせしが、仏法のそこをならひきはめたりといふとも、いのちみじかくは、ひとをたすくることいくばくならんとて、陶隠居といふひとにあうて、まづ長生不死の法をならひぬ。すでに三年のあひだ仙人のところにしてならひえてかへりたまふ。そのみちにて菩提流支と申す三蔵にゆきあひてのたまはく、「仏法のなかに長生不死の法は、この土の仙経にすぐれたる法やある」と問ひたまへば、三蔵、地につばきを吐きていはく、「この方にはいづくのところにか長生不死の法あらん、たとひ長年を得てしばらく死せずといふとも、つひに三有に輪廻すべし」といひて、すなはち浄土の『観無量寿経』を授けていはく、「これこそまことの長生不死の法なり、これによりて念仏すれば、はやく生死をのがれて、はかりなきいのちを得べし」とのたまへば、曇鸞これをうけとりて、仙経十巻をたちまちに焼きすてて、一向に浄土に帰したまひけり。

 「天親菩薩論註解 報土因果顕誓願」といふは、かの鸞師(曇鸞)、天親菩薩の『浄土論』に『註解』(論註)といふふみをつくりて、くはしく極楽の因果、一々の誓願を顕したまへり。

 「往還回向由他力 正定之因唯信心」といふは、往相・還相の二種の回向は、凡夫としてはさらにおこさざるものなり、ことごとく如来の他力よりおこさしめられたり。正定の因は信心をおこさしむるによれるものなりとなり。

 「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」といふは、一念の信おこりぬれば、いかなる惑染の機なりといふとも、不可思議の法なるがゆゑに、生死すなはち涅槃なりといへるこころなり。

 「必至無量光明土 諸有衆生皆普化」といふは、聖人(親鸞)、弥陀の真土を定めたまふとき、「仏はこれ不可思議光、土はまた無量光明土なり」(真仏土巻・意)といへり。かの土にいたりなばまた穢土にたちかへり、あらゆる有情を化すべしとなり。


【10】 「道綽決聖道難証 唯明浄土可通入」といふは、この道綽はもとは涅槃宗の学者なり。曇鸞和尚の面授の弟子にあらず、その時代一百余歳をへだてたり。しかれども并州玄中寺にして曇鸞の碑の文をみて、浄土に帰したまひしゆゑに、かの弟子たり。これまたつひに涅槃の広業をさしおきて、ひとへに西方の行をひろめたまひき。されば、聖道は難行なり、浄土は易行なるがゆゑに、ただ当今の凡夫は浄土の一門のみ通入すべきみちなりとをしへたまへり。

 「万善自力貶勤修 円満徳号勧専称」といふは、万善は自力の行なるがゆゑに、末代の機、修行することかなひがたしといへり。円満の徳号は他力の行なるがゆゑに、末代の機には相応せりといへるこころなり。

 「三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引」といふは、道綽禅師、「三不三信」といふことを釈したまへり。「一つには信心あつからず、若存若亡するゆゑに。二つには信心ひとつならず、いはく、決定なきがゆゑに。三つには信心相続せず、いはく、余念間故なるがゆゑに」(安楽集・上)といへり。かくのごとくねんごろにをしへたまひて、像法・末法の衆生をおなじくあはれみましましけり。

 「一生造悪値弘誓 至安養界証妙果」といふは、弥陀の弘誓に値ひたてまつるによりて、一生造悪の機も安養界に至れば、すみやかに無上の妙果を証すべきものなりといへるこころなり。


【11】 「善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪」といふは、浄土門の祖師その数これおほしといへども、善導にかぎり独り仏証をこうて、あやまりなく仏の正意を明かしたまへり。されば定散の機をも五逆の機をも、もらさずあはれみたまひけりといふこころなり。

 「光明名号顕因縁」といふは、弥陀如来の四十八願のなかに第十二の願は、「わがひかりきはなからん」と誓ひたまへり、これすなはち念仏の衆生を摂取のためなり。かの願すでに成就してあまねく無碍のひかりをもつて十方微塵世界を照らしたまひて、衆生の煩悩悪業を長時に照らしまします。さればこのひかりの縁にあふ衆生、やうやく無明の昏闇うすくなりて宿善のたねきざすとき、まさしく報土に生るべき第十八の念仏往生の願因の名号をきくなり。しかれば名号執持することさらに自力にあらず、ひとへに光明にもよほさるるによりてなり。このゆゑに光明の縁にきざされて名号の因は顕るるといふこころなり。

 「開入本願大智海 行者正受金剛心」といふは、本願の大智海に帰入しぬれば真実の金剛心を受けしむといふこころなり。

 「慶喜一念相応後 与韋提等獲三忍 即証法性之常楽」といふは、一心念 仏の行者、一念慶喜の信心さだまりぬれば、韋提希夫人とひとしく、喜・悟・信の三忍を獲べきなり。喜・悟・信の三忍といふは、一つには喜忍、二つには悟忍、三つには信忍なり。喜忍といふは、これ信心歓喜の得益をあらはすこころなり。悟忍といふは、仏智をさとるこころなり。信忍といふは、すなはちこれ信心成就のすがたなり。しかれば韋提はこの三忍の益をえたまへるなり。これによりて真実信心を具足せんひとは、韋提希夫人にひとしく三忍をえて、すなはち法性の常楽を証すべきものなり。


【12】 「源信広開一代教 偏帰安養勧一切」といふは、楞厳の和尚(源信)は、ひろく釈迦一代の教を開きて、もつぱら念仏をえらんで、一切衆生をして西方の往生をすすめしめたまへり。

 「専雑執心判浅深 報化二土正弁立」といふは、雑行雑修の機をすてやらぬ執心あるひとは、かならず化土懈慢国に生ずるなり。また専修正行になりきはまるかたの執心あるひとは、さだめて報土極楽国に生ずべしとなり。これすなはち、専雑二修の浅深を判じたまへるこころなり。『和讃』(高僧和讃・九三)にいはく、「報の浄土の往生は おほからずとぞあらはせる 化土に生るる衆生をば すくなからずとをしへたり」といへるはこのこころなりとしるべし。

 「極重悪人唯称仏」といふは、極重の悪人は他の方便なし、ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得よといへる文のこころなり。

 「我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」といふは、真実信心をえたるひとは、身は娑婆にあれどもかの摂取の光明のなかにあり。しかれども、煩悩まなこをさへてをがみたてまつらずといへども、弥陀如来はものうきことなくして、つねにわが身を照らしましますといへるこころなり。


【13】 「本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人」といふは、日本には念仏の祖師その数これおほしといへども、法然聖人のごとく一天にあまねく仰がれたまふひとはなきなり。これすなはち仏教にあきらかなりしゆゑなり。されば弥陀の化身といひ、また勢至の来現といひ、また善導の再誕ともいへり。かかる明師にてましますがゆゑに、われら善悪の凡夫人をあはれみたまひて浄土にすすめ入れしめたまひけるものなり。

 「真宗教証片州 選択本願弘悪世」といふは、かの聖人(法然)わが朝にはじめて浄土宗をたてたまひて、また『選択集』といふふみをつくりましまして、悪世にあまねくひろめしめたまへり。

 「還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入」といふは、生死輪転の家といふは、六道輪廻のことなり。このふるさとへ還ることは疑情のあるによりてなり。また寂静無為の浄土へいたることは信心のあるによりてなり。されば『選択集』にいはく、「生死の家には疑をもつて所止とし、涅槃のみやこには信をもつて能入とす」といへる、このこころなり。


【14】 「弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」といふは、弘経大士といふは、天竺(印度)・震旦(中国)・わが朝の菩薩・祖師等のことなり。かの人師、未来の極濁悪のわれらをあはれみすくひたまはんとて出生したまへり。しかれば道俗等、みなかの三国の高祖の説を信じたてまつるべきものなり。さればわれらが真実報土の往生ををしへたまふことは、しかしながらこの祖師等の御恩にあらずといふことなし。よくよくその恩徳を報謝したてまつるべきものなり。

[奥書]  [右この『正信偈大意』は、金森の道西、一身の才覚のために連々そののぞみこれありといへども、予いささかその料簡なきあひだ、かたく斟酌をくはふるところに、しきりに所望のむねさりがたきによりて、文言のいやしきをかへりみず、また義理の次第をもいはず、ただ願主の命にまかせて、ことばをやはらげ、これをしるしあたふ。その所望あるあひだ、かくのごとくしるすところなり、あへて外見あるべからざるものなり。]

 [時に長禄第四の天林鐘のころ、筆を染めをはりぬ。]