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「至心」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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 まことの心。真実心。
 
 まことの心。真実心。
  
1.『大経』[[第十八願]]の三心の一。阿弥陀仏の衆生を救済せんとする真実心。→[[三心]](さんしん)。
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Ⅰ 『大経』[[第十八願]]の三心の一。阿弥陀仏の衆生を救済せんとする真実心。→[[三心]](さんしん)。
  
2..『大経』[[第十九願]]・[[第二十願]]の至心。自力の真実心。
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Ⅱ 『大経』[[第十九願]]・[[第二十願]]の至心。自力の真実心。
  
 
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*[[第十九願]] 至心 発願 欲生我国
 
*[[第十九願]] 至心 発願 欲生我国
 
*[[第二十願]] 至心 回向 欲生我国
 
*[[第二十願]] 至心 回向 欲生我国
この三願は、至心と欲生我国は共通だが、中間の信楽、発願、回向に依ってそれぞれ至心の意味が異なる。第十八願では衆生を[[済度]]しようという阿弥陀仏の至心(至徳の尊号が体)を信楽(受容する)という意味。第十九願、第二〇願の立場は、自らに先行する本願力回向の救済を否定し自らが発願・回向するので自力という。
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であり、御開山は第十八願の「信巻」の標挙には「至心信楽之願 正定聚之機」とし、化巻では第十九願を「至心発願之願 {邪定聚機 双樹林下往生}」、第二十願を「至心回向之願 {不定聚機 難思往生}」とされていた。<br />
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この三願は、至心と欲生我国は共通だが、中間の信楽、発願、回向に依ってそれぞれ至心の意味が異なる。第十八願では衆生を[[済度]]しようという阿弥陀仏の至心(至徳の尊号が体)を信楽(受容する)という意味。第十九願は菩提心を発し諸々の功徳を修しての至心、第二〇願の至心は、自らに先行する本願力回向の救済を疑惑し諸々の[[徳本]]を植えて往生を願う自力の法門をいふ。
  
 
→[[機無・円成・回施・成一]]
 
→[[機無・円成・回施・成一]]
  
 
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2018年10月30日 (火) 21:10時点における版

ししん

 まことの心。真実心。

Ⅰ 『大経』第十八願の三心の一。阿弥陀仏の衆生を救済せんとする真実心。→三心(さんしん)。

Ⅱ 『大経』第十九願第二十願の至心。自力の真実心。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

往生の因願には三願がある。

であり、御開山は第十八願の「信巻」の標挙には「至心信楽之願 正定聚之機」とし、化巻では第十九願を「至心発願之願 {邪定聚機 双樹林下往生}」、第二十願を「至心回向之願 {不定聚機 難思往生}」とされていた。
この三願は、至心と欲生我国は共通だが、中間の信楽、発願、回向に依ってそれぞれ至心の意味が異なる。第十八願では衆生を済度しようという阿弥陀仏の至心(至徳の尊号が体)を信楽(受容する)という意味。第十九願は菩提心を発し諸々の功徳を修しての至心、第二〇願の至心は、自らに先行する本願力回向の救済を疑惑し諸々の徳本を植えて往生を願う自力の法門をいふ。

機無・円成・回施・成一