「論註」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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二巻。<kana>曇鸞(どんらん)</kana>大師(476-542?)の著。『<kana>無量寿経優婆提舎願生偈註(むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげちゅう)</kana>』のこと。『往生論註』『浄土論註』『註論』とも略称する。<kana>天親(てんじん)</kana>菩薩の『浄土論』を註釈したもので、上巻には論の<kana>偈頌(げじゅ)</kana>を解釈し、下巻には論の<kana>長行(じょうごう)</kana>を解釈して、浄土に往生し成仏する要因はすべて阿弥陀仏の本願力によることを説き明かしている。浄土思想発展に大きな影響を与えた書。<kana>七祖聖教(しちそしょうぎょう)</kana>の一。 | 二巻。<kana>曇鸞(どんらん)</kana>大師(476-542?)の著。『<kana>無量寿経優婆提舎願生偈註(むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげちゅう)</kana>』のこと。『往生論註』『浄土論註』『註論』とも略称する。<kana>天親(てんじん)</kana>菩薩の『浄土論』を註釈したもので、上巻には論の<kana>偈頌(げじゅ)</kana>を解釈し、下巻には論の<kana>長行(じょうごう)</kana>を解釈して、浄土に往生し成仏する要因はすべて阿弥陀仏の本願力によることを説き明かしている。浄土思想発展に大きな影響を与えた書。<kana>七祖聖教(しちそしょうぎょう)</kana>の一。 | ||
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御開山は『論註』の「[[本願力回向]]」の往相・還相([[浄土論註 (七祖)#no56|論註 P.107]])という指示により、浄土教こそ「大乗のなかの至極なり」([[消息上#P--737|消息P.737]])であると領解されたのであった。それはまた、 | 御開山は『論註』の「[[本願力回向]]」の往相・還相([[浄土論註 (七祖)#no56|論註 P.107]])という指示により、浄土教こそ「大乗のなかの至極なり」([[消息上#P--737|消息P.737]])であると領解されたのであった。それはまた、 | ||
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− | と、本来は釈である『浄土論註』を『註論』とされた意であった。それは論註の「[[覈求其本釈]] | + | と、本来は釈である『浄土論註』を『註論』とされた意であった。それは論註の「[[覈求其本釈]]」によって、善導、法然両師が示された穢土と浄土という二元論の上に相対の上の絶対教判として「[[誓願一仏乗]]」の教義体系を確立されたからであった。それが本願を[[聞信]]すれば、あらゆる者が仏に成ることが出来るという、なんまんだぶのご法義であった。 |
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+ | :→[[往相]] [[願作仏心]] | ||
+ | :→[[還相]] [[度衆生心]] | ||
+ | :→[[横の大菩提心]] | ||
+ | :→[[上求菩提・下化衆生]] | ||
+ | :→[[菩薩]] | ||
− | [[Category:追記]] | + | [[Category:追記]]<p id="page-top">[[#|▲]]</p> |
2024年9月2日 (月) 10:21時点における版
ろんちゅう
二巻。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- →優婆提舎
仏教では、経・論・釈といい、経とは仏陀の説いたもの、論とはインドの菩薩(学者)が経説を解釈祖述したもの。釈とは経論の意味を中国の学者が解釈したものをいふ。経釈(経と釈)、論釈(論と釈)ということもある。
御開山は、曇鸞大師を菩薩としてみようとされておられた。また曇鸞大師造の『讃阿弥陀仏偈』を経とみようとされておられる場合もある。
『讃阿弥陀仏偈』の冒頭の、
- 南無阿弥陀仏 釈名無量寿 傍経奉讃亦曰安養
- 南無阿弥陀仏 釈して無量寿と名づく。経に傍(そ)へて讃めたてまつる。また安養ともいふ。(讃弥陀偈 P.161)
という文を、
- 南無阿弥陀仏 釈して『無量寿傍経』と名づく、讃めたてまつりてまた安養といふ。(浄土 P.556)
と『讃阿弥陀仏偈和讃』では「無量寿傍経」と読まれたのである。→釈して…安養といふ
また「正信念仏偈」では、
- 本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼
- 本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かひて菩薩と礼したてまつる。(行巻 P.205)
と、曇鸞大師を梁の天子をして菩薩とされておられたと『安楽集』の文を引いておられた。
御開山は『論註』の「本願力回向」の往相・還相(論註 P.107)という指示により、浄土教こそ「大乗のなかの至極なり」(消息P.737)であると領解されたのであった。それはまた、
- 二つに還相の回向といふは、すなはちこれ利他教化地の益なり。すなはちこれ必至補処の願(第二十二願)より出でたり。また一生補処の願と名づく。また還相回向の願と名づくべきなり。『註論』(論註)に顕れたり。ゆゑに願文を出さず。『論の註』を披くべし。(証巻 P.313)
や、
- 『『註論』にいはく、「〈荘厳清浄功徳成就とは、『偈』に、《観彼世界相勝過三界道》といへるがゆゑに〉(浄土論)と。これいかんが不思議なるや。凡夫人、煩悩成就せるありて、またかの浄土に生ずることを得るに、三界の繋業畢竟じて牽(ひ)かず。すなはちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得。いづくんぞ思議すべきや」と。(真巻 P.357)
と、本来は釈である『浄土論註』を『註論』とされた意であった。それは論註の「覈求其本釈」によって、善導、法然両師が示された穢土と浄土という二元論の上に相対の上の絶対教判として「誓願一仏乗」の教義体系を確立されたからであった。それが本願を聞信すれば、あらゆる者が仏に成ることが出来るという、なんまんだぶのご法義であった。
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