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「楞伽山」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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楞伽は、一説にスリランカの古名、Laṅkā(ランカー)のことで、『楞伽経』Laṅkāvatāra Sūtra(ランカーヴァターラ・スートラ)は、ここで説かれたともいう。この『楞伽経』巻九で、釈尊が将来の龍樹菩薩の出現を預言されているので「楞伽懸記(りょうが-けんき)」という。<br>
 
楞伽は、一説にスリランカの古名、Laṅkā(ランカー)のことで、『楞伽経』Laṅkāvatāra Sūtra(ランカーヴァターラ・スートラ)は、ここで説かれたともいう。この『楞伽経』巻九で、釈尊が将来の龍樹菩薩の出現を預言されているので「楞伽懸記(りょうが-けんき)」という。<br>
 
懸記の《懸》は「かける」という意味もあるが、ここでは懸絶、懸隔の意で、遠く隔たった時間、未来のこと。《記》は、「しるす」という意で『楞伽経』に托した、釈尊の預言(予言という、ある事についてその実現に先立って予測するという意味ではなく、あらかじめ言(ことば)を措定しておくという意)をいう。仏教の教理史的には龍樹(150-250頃)以後に釈尊に仮託された経典であり、シナでは初期禅宗や浄土教において重視された経典である。 <br>
 
懸記の《懸》は「かける」という意味もあるが、ここでは懸絶、懸隔の意で、遠く隔たった時間、未来のこと。《記》は、「しるす」という意で『楞伽経』に托した、釈尊の預言(予言という、ある事についてその実現に先立って予測するという意味ではなく、あらかじめ言(ことば)を措定しておくという意)をいう。仏教の教理史的には龍樹(150-250頃)以後に釈尊に仮託された経典であり、シナでは初期禅宗や浄土教において重視された経典である。 <br>
なお、『楞伽経』には、『楞伽阿跋多羅宝経』 求那跋陀羅訳、『入楞伽経』 菩提流支訳、大乗入楞伽経』 実叉難陀訳の三種の訳がある。以下は菩提流支訳の『入楞伽経』からの抜粋。
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なお、『楞伽経』には、『楞伽阿跋多羅宝経』 求那跋陀羅訳、『入楞伽経』 菩提流支訳、『大乗入楞伽経』 実叉難陀訳の三種の訳がある。以下は菩提流支訳の『入楞伽経』からの抜粋。
  
 
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2018年10月8日 (月) 05:10時点における版

りょうがせん

 楞伽は梵語ランカー(Lańkā)の音写。釈尊が『楞伽経』を説かれた場所。 (行巻 P.204, 浄文 P.486)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

楞伽は、一説にスリランカの古名、Laṅkā(ランカー)のことで、『楞伽経』Laṅkāvatāra Sūtra(ランカーヴァターラ・スートラ)は、ここで説かれたともいう。この『楞伽経』巻九で、釈尊が将来の龍樹菩薩の出現を預言されているので「楞伽懸記(りょうが-けんき)」という。
懸記の《懸》は「かける」という意味もあるが、ここでは懸絶、懸隔の意で、遠く隔たった時間、未来のこと。《記》は、「しるす」という意で『楞伽経』に托した、釈尊の預言(予言という、ある事についてその実現に先立って予測するという意味ではなく、あらかじめ言(ことば)を措定しておくという意)をいう。仏教の教理史的には龍樹(150-250頃)以後に釈尊に仮託された経典であり、シナでは初期禅宗や浄土教において重視された経典である。
なお、『楞伽経』には、『楞伽阿跋多羅宝経』 求那跋陀羅訳、『入楞伽経』 菩提流支訳、『大乗入楞伽経』 実叉難陀訳の三種の訳がある。以下は菩提流支訳の『入楞伽経』からの抜粋。

『入楞伽経』菩提流支訳 [1]
我乗内証智 妄覚非境界
わが乗、内証の智は妄覚の境界にあらず
如来滅世後 誰持為我説
如来滅世の後、誰か持(たも)ちてわが為に説かん。
如来滅度後 未来当有人
如来滅度の後、未来に当に人あるべし
大慧汝諦聴 有人持我法
大慧、汝あきらかに聴け、人ありて我が法を持たん。
於南大国中 有大徳比丘
南大国中に、大徳の比丘ありて
名龍樹菩薩 能破有無見
龍樹菩薩と名づく。よく有無の見を破し
為人説我法 大乗無上法
人の為に、我が大乗無上の法を説き
証得歓喜地 往生安楽国
歓喜地を証し、安楽国に往生するを得ん。

法然聖人は、『漢語灯録』所収の『小経釈』で『阿弥陀経』の、

「衆生生者皆是阿鞞跋致。其中多有一生補処(衆生生ずるものはみなこれ阿鞞跋致なり。 そのなかに多く一生補処〔の菩薩〕あり。その数はなはだ多し)」(小経 P.124)

阿鞞跋致一生補処を釈するに際して『楞伽経』を引用され、

又楞伽經説云
また『楞伽経』に云ふ。
於南天國中有大德比丘。名龍樹菩薩。
南天国中に大徳の比丘あり、龍樹菩薩と名づく。
能破有無見 爲人説我乘大乘無上法
よく有無の見を破し、人の為に我が乗の大乗無上の法を説き、
證得歡喜地 往生安樂國
歓喜地を証し、安楽国に往生するを得ん。
乃依此文龍樹菩薩 亦已往生在極樂界
すなわちこの文に依って、龍樹菩薩も、また往生しおわりて、極楽界に在(いま)す。
龍樹菩薩已是天台三論及眞言祖師也
龍樹菩薩はすでにこれ、天台三論および真言の祖師なり。
若欲廣學顯密兩敎者
もし、広く顕密両教を学せんと欲せば、
應當發願往生極樂也
まさに、発願して極楽に往生すべし。漢語灯録巻三

とされ、天台、華厳、三論、法相等の諸宗などの八宗の祖である龍樹菩薩も、(この世で)歓喜地を証して極楽界に往生されたという意を『楞伽経』を引用して証明しておられた。 歓喜地とは『十住毘婆沙論』で説く阿惟越致の境地であり、御開山が本願を聞信し、選択本願の、なんまんだぶを称える者は歓喜地である正定聚であるとされた淵源は法然聖人にあったのであろう。
御開山は、和語の和讃では、

(2)

南天竺に比丘あらん
龍樹菩薩となづくべし
有無の邪見を破すべしと
世尊はかねてときたまふ (高僧 P.578)

と、我あり法ありと有に執着する有見(常見)、また反対に我もなく法もないと一切が無であるという無見(断見)の、有見と無見の「有無の邪見」を破した龍樹菩薩を讃詠しておられた。

(3)

本師龍樹菩薩は
大乗無上の法をとき
歓喜地を証してぞ
ひとへに念仏すすめける (高僧 P.578)

(6)

不退のくらゐすみやかに
えんとおもはんひとはみな
恭敬の心に執持して
弥陀の名号称すべし (高僧 P.578)

と、歓喜地であり正定聚不退転とは「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」ことを明かされたのである。

この意を「正信念仏偈」では、

釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまはく、南天竺(南印度)に、
龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
龍樹大士世に出でて、ことごとくよく有無の見を摧破せん。
宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽
大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即のとき必定に入る。
唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩
ただよくつねに如来の号(みな)を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。(行巻 P.204)

と、されておられる。

「行巻」で『十住毘婆沙論』の「入初地品」「地相品」「浄地品」(行巻 P.146) 等を引文し「歓喜地」に論及されておられる。真実信心の念仏の行者は阿弥陀如来の摂取不捨の真実の信心を歓喜する「歓喜地」であるとみられたのである。『大経』の「聞其名号、信心歓喜、乃至一念(その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん)」の歓喜の意を歓喜地にみられたのであろう。それは「易行品」で説かれる、

仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもつて疾く阿惟越致に至るものあり。 (十住毘婆沙論 P.6)

という、「信方便易行をもつて疾く阿惟越致に至る」信方便易行である。易行道とは、

もし人疾く不退転地に至らんと欲せば、
恭敬心をもつて、執持して名号を称すべしと。(十住毘婆沙論 P.6)

と、いう偈文によられて、恭敬心(信)と執持名号(行)の「行信」に拠る不退転を示す文によって法然聖人の示された〔なんまんだぶ〕を聞信する法義を証明されたのであろう。

正定聚
歓喜地