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「真実信心」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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しんじつ-しんじん 真実信心
 
しんじつ-しんじん 真実信心
  
 阿弥陀仏より衆生に与えられた本願力回向の信心。阿弥陀仏から回向された信心であるから[[大信]]ともいい[[一心]]ともいう。「信巻」には、
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 [[阿弥陀仏]]より[[衆生]]に与えられた[[本願力回向]]の[[信心]]。阿弥陀仏から回向された信心であるから[[大信]]ともいい[[一心]]ともいう。「信巻」には、
 
:[[疑蓋]]間雑なきがゆゑに、これを信楽と名づく。信楽すなはちこれ一心なり、一心すなはちこれ[[真実信心]]なり。([[信巻本#P--231|信巻 P.231]])  
 
:[[疑蓋]]間雑なきがゆゑに、これを信楽と名づく。信楽すなはちこれ一心なり、一心すなはちこれ[[真実信心]]なり。([[信巻本#P--231|信巻 P.231]])  
 
とあり、[[信楽]]ともいわれ、無疑心のことであって、疑心なく本願の'''[[名号]]'''を領受した心をいう。
 
とあり、[[信楽]]ともいわれ、無疑心のことであって、疑心なく本願の'''[[名号]]'''を領受した心をいう。

2020年1月14日 (火) 12:55時点における版

しんじつ-しんじん 真実信心

 阿弥陀仏より衆生に与えられた本願力回向信心。阿弥陀仏から回向された信心であるから大信ともいい一心ともいう。「信巻」には、

疑蓋間雑なきがゆゑに、これを信楽と名づく。信楽すなはちこれ一心なり、一心すなはちこれ真実信心なり。(信巻 P.231)

とあり、信楽ともいわれ、無疑心のことであって、疑心なく本願の名号を領受した心をいう。 これは大行である名号のはたらきが衆生にまさしく至り届いたすがたとされる。『唯信鈔文意』には

「選択不思議の本願、無上智慧の尊号をききて、一念も疑ふこころなきを真実信心といふなり」(唯文 P.702)

『歎異抄』第6条には

「如来よりたまはりたる信心を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや」(歎異抄 P.835)

等とある。なお、親鸞は歓喜や慶喜の語を真実信心の異称として用いることがある。『浄土和讃』には

「一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ」(註 561)

『高僧和讃』には

「一念歓喜するひとを かならず滅度にいたらしむ」(註 585)

等とある。→三一問答大行歓喜(浄土真宗辞典)

204,231,252,494,495,560,567,576,586,592,605,607,608,610,626,644,647,667,670,671,672,673,679,683,701,703,707,712,713,721,722,735,748,758,760,761,778,794,797,803,859,963,964,1027,1036,1037,1086,1088,1103,1114,1116,1150,1162,1171,1172,1178,1180,1202,1222,1244

信心
仰信