聞信
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
もん-しん
『正信念仏偈』に、
と「聞信」とある。この意を『尊号真像銘文』で、
- 一切の善人も悪人も、如来の本願を聞信すれば、釈尊はこのひとを「広大勝解のひと」(如来会・下)なりといひ、また「分陀利華」(観経)にたとへ、あるいは「上上人」(散善義)なりとも、「希有人」(同)なりともほめたまへり。
とされておられた。
浄土真宗のおける聞レ信とは、信を聞くことであり、阿弥陀如来の必ず摂取する決定摂取の信を聞くことである。信は和語では〔まこと〕や〔まかせる〕の意味があり、阿弥陀仏の衆生「済度」の信(まこと)の意味を聞くことや「本願」の真実にまかせるという意である。信
御開山や蓮如上人はその「真実にまかせる」を和語で〔たのむ(憑)〕と示して下さったのである。御開山が自然法爾の御書で、
- 弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへんとはからはせたまひたるによりて、行者のよからんともあしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。(正像 P.621)
と、「南無阿弥陀仏とたのませたまひて」という意であった。なんまんだぶと称えることは、阿弥陀仏の本願にうちまかせている
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ