操作

思不思議対

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2019年11月14日 (木) 16:54時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

し ふしぎ たい

 念仏衆生(しゅじょう)思議がおよばない尊い法であるが、諸善は思いはかることのできるである。(行巻 P.199),(愚禿上 P.509)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

思議と不思議の対判。
人間の思慮分別を超えた本願のはたらきが、人間を導いていく阿弥陀如来の不可思議な大悲智慧のはたらきを不思議といふ。人間の思議の領域と仏陀の不思議な智慧との対比を「思不思議対」といふ。
『総序』には、

 ひそかにおもんみれば難思の弘誓難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。(総序 P.131)

と「難思の弘誓難度海を度する大船」とは、阿弥陀如来の衆生済度の難思の法であるとされておられるのもその意である。

不可称不可説不可思議
難思の弘誓
親鸞聖人の仏身論