八万四千の法門
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下記に引用した『大智度論』二五(『大正蔵』二五・二四七頁)には仏の救済の対象となる機根には、各々二万一千の婬欲人根・瞋恚人根・愚痴人根・等分(婬欲、瞋恚、愚癡を等分に持つ者)人根の四種があって、全部で八万四千になるからそれを対治する法も自ずから八万四千の治法の根を説くとされる。いずれにせよ無数の煩悩に対して無数の法門が説かれたことを八万四千の法門というのであろう。
復次二萬一千婬欲人根。為是根故。佛說八萬四千治法根。隨是諸根。樂說治法次第。菩薩樂說
- また次ぎに、二万一千の婬欲人の根には、この根の為の故に、仏は八万四千の治法の根を説きたまえり。この諸の根に随いて、治法を楽説したまえば、次第に菩薩も楽説せり。
二萬一千瞋恚人根。為是根故。佛說八萬四千治法根。隨是諸根。樂說治法次第。菩薩樂說
- 二万一千の瞋恚人の根には、この根の為の故に、仏は八万四千の治法の根を説きたまえり。この諸の根に随いて、治法を楽説したまえば、次第に菩薩も楽説せり。
二萬一千愚癡人根。為是根故。佛說八萬四千治法根。隨是諸根。樂說治法次第。菩薩樂說
- 二万一千の愚癡人の根には、この根の為の故に、仏は八万四千の治法の根を説きたまえり。この諸の根に随いて、治法を楽説したまえば、次第に菩薩も楽説せり。
二萬一千等分人根[1]。為是根故。佛說八萬四千治法根。隨是諸根。樂說治法次第。菩薩樂說是名樂說無礙智。
- 二万一千の等分人の根には、この根の為の故に、仏は八万四千の治法の根を説きたえまり。この諸の根に随いて、治法を楽説したまえば、次第に菩薩も楽説せり。これを楽説無礙智[2]と名づく。
以下は御開山が八万四千の法門をどのように理解されておられたかを、梯實圓和上の『顕浄土方便化身土文類講讃』から窺う。(註とリンクは私において付した。)
- 「門余の釈」
聖道門では生死を離れることの出来ない者のために要門を説いて浄土門へと誘引されたわけであるが、その要門さえも如実に修業することのできない愚悪の衆生のために阿弥陀仏は弘願一乗の法を説かれたというのが序題門[3]の心であった、親鸞聖人はそのような仏意を、序題門に説かれていた「門余八万四千(門八万四千に余れり)」(玄義分 P.300) という言葉の中に読み取り、聖道門を要門に誘引し、要門から弘願の宗義に帰結されていく釈尊一代の教法の権実の体系を示されるのであった。それは機の堪不堪から、教法の権実へと展開される釈であった。すなわち、
- 「門余」といふは、「門」はすなはち八万四千の仮門なり、「余」はすなはち本願一乗海なり。 (化巻P.394)
といわれたのがそれで、これを「門余の釈」といい慣わしている。
序題門では、法門が無量であることを「門八万四千に余れり」といわれたわけであるから、「余」とは有余(ありあまる)という意味であった。それを親鸞聖人は、八万四千の法門の外に別の法門があることを表す言葉であると解釈し、「余」を「外余」(外に余っている)の意味に転用されたわけである。そして聖道八万四千の権教の外に、阿弥陀仏の本願力回によって善悪、賢愚の隔てなく、一切の衆生が救われていく本願一乗の法門があることを表していると領解されたのであった。 (『顕浄土方便化身土文類講讃』p.352)
この意を、御開山は『一念多念証文』で、
- おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門となづけたり。 (一多 P.690)
と、八万四千の法門は方便であり仮門であるとされ、『唯信鈔文意』でも、
- 「随縁雑善恐難生」といふは、「随縁」は衆生のおのおのの縁にしたがひて、おのおののこころにまかせて、もろもろの善を修するを極楽に回向するなり。すなはち八万四千の法門なり。これはみな自力の善根なるゆゑに、実報土には生れずときらはるるゆゑに「恐難生」といへり。(唯文 P.710)
と、八万四千の法門は自力の法門であるから、実の報土へは生まれることが出来ないとされておられる。
通常は八万四千の法門といえば、釈尊一代の応病与薬の教法を指す。いわゆる八万四千の煩悩に対して八万四千の治法(治療の方法)が説かれたというのである。しかし衆生の煩悩は無数であるから対処法も無数であるので八万四千という数量表現は無数をあらわす表現であろう。 この八万四千を善導大師『観経疏』「玄義分」序題門の文、
- 依心起於勝行 門余八万四千
- 心によりて勝行を起すに、門八万四千に余れり。(玄義分 P.300)
の文によって、八万四千の法門の他(外余) に、別意の弘願の一乗の法があるとみられた。このようにみられた嚆矢は、法然門下での先輩である幸西大徳(幸西成覚房)であった。(幸西の門余釈)
この幸西大徳の示唆によって八万四千の法門は弘願へ入らしめるための方便である、と確定していかれたのが親鸞聖人である。
これが、本願を信じさせ念仏を申させ仏になさしめるという「誓願一仏乗」の念仏成仏の本願力回向のご法義なのであった。『安楽集』の聖浄二門判では、
- 第五にまた問ひていはく、一切衆生みな仏性あり。 遠劫よりこのかた多仏に値ひたてまつるべし。 なにによりてかいまに至るまで、なほみづから生死に輪廻して火宅を出でざる。
- 答へていはく、大乗の聖教によるに、まことに二種の勝法を得て、もつて生死を排はざるによる。 ここをもつて火宅を出でず。 何者をか二となす。 一にはいはく聖道、二にはいはく往生浄土なり。その聖道の一種は、今の時証しがたし。 一には大聖(釈尊)を去ること遥遠なるによる。 二には理は深く解は微なるによる。このゆゑに『大集月蔵経』(意)にのたまはく、「わが末法の時のうちに、億々の衆生、行を起し道を修すれども、いまだ一人として得るものあらず」と。
- 当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。 ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり。(安楽集 P.241)
と、末法により機が衰えるから「唯有浄土一門可通入路(ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり)」とされ、機の修行の堪不堪を論じて浄土門を示された。しかし御開山は、教法そのものの権実の上で仏教の体系をを考察されたのが「聞余」という言葉であり、そこから展開されたのが「念仏往生」の浄土真宗のご法義であった。その意味において『大経』は人間洞察の書であり、究極の大乗仏教は浄土真宗であるというのが御開山の思想である。
御消息で「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(消息 P.737)とされた所以である。
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