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行信不離

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2018年9月22日 (土) 11:18時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「ぎょうしんーふり  阿弥陀仏より回向された、行(なんまんだぶ)と疑いなき信心は不離であること。<br /> 仏教が、哲...」)

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ぎょうしんーふり

 阿弥陀仏より回向された、行(なんまんだぶ)と疑いなき信心は不離であること。
仏教が、哲学や通常の思想と最も異なる点はの有無である。仏教は「信解行証」といい実践しなければ意味がなく、日々の生活の中で教えが実行できてこそ、仏道の真の具体的意味がある。浄土真宗では信を強調するのだが、行なき信はなく、また信なき行もないのである。この意を御開山は、

信の一念行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。
そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかひをききて、疑ふこころのすこしもなきを信の一念と申せば、信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。 (消息 P.749)

と、行と信は、行信不離(ぎょうしん-ふり)であるといわれていた。

行信
大行
大信
四法
選択本願
第十七願
第十八願