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仮名人

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

けみょうにん

 仮名とは実体のないものに仮につけた名という意で、人といっても五蘊(ごうん) (五陰) が因縁によって仮に和合したものであるから仮名人という。 → 五陰 (論註 P.55安楽集 P.230)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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けみょうにん 仮名人

 仮名とは実体のないものに(かり)につけた名という意で、 人といっても五蘊因縁によって仮に和合したものであるから仮名人という。『論註』に

穢土の仮名の人、 浄土の仮名の人、 決定して一を得ず、 決定して異を得ず」 (行巻引文・註 158)

とある。(浄土真宗辞典)

『論註』で『浄土論』冒頭に、

世尊我一心 帰命尽十方
無礙光如来 願生安楽国
世尊、われ一心に尽十方の無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。

と、生ぜんと願ず(願生)とある意を、

 問ひていはく、大乗経論のなかに、処々に「衆生は畢竟無生にして虚空のごとし」と説けり。いかんが天親菩薩「願生」といふや。

と「願生」の意を自問自答して、

 問ひていはく、なんの義によりてか往生と説く。

答へていはく、この間の仮名人のなかにおいて五念門を修するに、前念は後念のために因となる。穢土仮名人浄土仮名人と、決定して一なるを得ず、決定して異なるを得ず。前心後心またかくのごとし。なにをもつてのゆゑに。もし一ならばすなはち因果なく、もし異ならばすなはち相続にあらざればなり。(論註 P.55)、(行巻 P.157) で引文 

と実体の無い仮名人が因縁性のゆえの往生すると説く。これは曇鸞大師の学ばれたといふ四論(中論、十二門論、大智度論、百論)などによる縁起による思想からであろう。

トーク:仮名