唯仏与仏の知見
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
ゆいぶつ-よぶつのちけん
さとりの領域はただ仏と仏のみが知ることがらであること。(高僧 P.580)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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『無量寿経』で釈尊の出世本懐を説く「五徳瑞現段」に、
- 今日世英 住最勝道。今日天尊 行如来徳。
- 今日世英、最勝の道に住したまへり。今日天尊、如来の徳を行じたまへり。
- 去・来・現仏 仏仏相念。
- 去・来・現の仏、仏と仏とあひ念じたまふ。
- 得無 今仏 念諸仏耶。
- いまの仏も諸仏を念じたまふことなきことを得んや。(大経 P.8)
と「仏と仏とあひ念じたまふ(仏仏相念)」とあり、『無量寿経』は「ただ仏陀と仏陀の智慧の見解によってのみ(唯仏与仏智見)」開顕された経典であった。御開山はここに阿弥陀如来の本願を説かれた釈尊の出世本懐をみておられた。
その仏の智慧によって建立された浄土の意を『浄土論』の偈文では、
- 観彼世界相 勝過三界道
- かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。
- 究竟如虚空 広大無辺際
- 究竟して虚空のごとく、広大にして辺際なし。(浄土論 P.29)
とされていた。御開山はその意を和讃せられて、仏と仏のみが智見しうる安養浄土を、
(12)
- 安養浄土の荘厳は
- 唯仏与仏の知見なり
- 究竟せること虚空にして
- 広大にして辺際なし (高僧 P.580)
と、讃詠されておられた。
それは、本願に誓願された、本願を信じ、なんまんだぶを称える者のみに開示され顕現する浄土であった。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ