浄信

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じょうしん

Ⅰ →補註11 (浄文 P.478)

Ⅱ 『交名牒(きょうみようちょう)』には「七条次郎入道洛中居住弟子」とある。また『末灯鈔』の諸本には「高田門人」と伝えるものもある。(消息 P.778)

  第二十通の浄信との同異不明。(消息 P.794)


 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社)
 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社)
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浄信

きよらなか信心の意で顛倒・うそいつわりの心からではなく、真如にかなった阿弥陀仏の清らかな願心から起こり、衆生に回向された信心であるからこのようにいう。
『浄土文類聚鈔』には、「浄信といふは、すなはち利他深広の信心なり。すなはちこれ念仏往生の願より出でたり」(p.480)とある。(『浄土真宗辞典』より)
浄信という語の出拠は『無量寿経』の成就文の「信心歓喜せんこと乃至一念せん」の一念を、異訳の『無量寿如来会』では、「乃至、能く一念の浄信を発して歓喜愛楽し」とあることから、一念とは信を発起する意味の言葉であり、浄信をしめす意味であると御開山は領解された。