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自利

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

じり

Ⅰ 自らを利するの意。自らの修行によってもたらされる利益を自分ひとりに受け取ること。
Ⅱ 浄土真宗では、自力の意にも用いられる。→利他(りた)。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:利他

じりりた 自利利他

 自利と利他のこと。
Ⅰ 大乗の菩薩は、自利がそのまま利他となり、利他がそのまま自利となる自利利他円満を理想としている。
Ⅱ 親鸞は、自利を自力の意、利他を他力の意としても用いている。『愚禿鈔』には

「おほよそ心について、二種の三心あり。一には自利の三心、二には利他の三信なり」 (註 541)

とある。(浄土真宗辞典)

◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:自利

じり 自利 (利他)

 自益益他、自利利人、自行化他ともいう。 自利とは自らを利するの意で、努力勉励して修道の功を積み、それによりもたらされる善い効果の利得の自分一個に受取ることをいい、利他とは他を利するの意で、自己の利得のためでなく諸々の有情救済のためにつくすことをいう。 この両者を合わせて二利といい、両者を完全に両立させた勝れた状態が大乗仏教の目的とする仏の世界で、これを 自利利他円満という(これ対して小乗は自利にかたよっているとされる)。 曇鸞の浄土論註巻下では利他他利とを区別して、利他とは仏からいう場合であり、他利とは衆生からいう場合であるとし(他利利他の深義)、親鸞はこの意を承けて、自利を自力、利他を他力の意に用いることがある。即ち愚禿鈔巻下では、至誠心(真実心)に二種、即ち衆生がまことをこめて起こす真実心と、仏が衆生を救いたいと願っ て起こす真実心とがあるとし、前者を自力の真実心の意で自利真実、後者を他力の真実心の意で利他真実とし、合わせて二利真実という。 (仏教学辞典)


参照WEB版浄土宗大辞典の「自利・利他」の項目