願力
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
がんりき
~不思議 人間の思慮分別を超えた阿弥陀仏の本願力。
衆生救済を願う力。(大経 P.53)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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阿弥陀仏の建立された浄土が虚作でないことを『浄土論』には、
- 観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海
- 仏の本願力を観ずるに、遇ひて空しく過ぐるものなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ。
とある。
これを『浄土論註』では、
- いふところの「不虚作住持」とは、本(もと)法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とによるなり。願もつて力を成ず、力もつて願に就(つ)く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符(かな)ひて畢竟じて差(たが)はざるがゆゑに「成就」といふ。
と、法蔵菩薩の願と阿弥陀如来の自在神力の力による願と力による願力が成就していることを顕されていた。これが衆生済度の本願力であり本願力が成就している相(すがた)であった。