「補註17」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
細 |
細 |
||
4行目: | 4行目: | ||
本願の意味には<kana>[[因本]](いんぽん)</kana>の願と根本の願の二つがあるといわれている。因本の願とは、<kana>[[因位]](いんに)</kana>のときにおこされた願いということである。この願いには、それが完成しなければ仏に成らぬという誓いをともなっているので[[誓願]]といわれる。 | 本願の意味には<kana>[[因本]](いんぽん)</kana>の願と根本の願の二つがあるといわれている。因本の願とは、<kana>[[因位]](いんに)</kana>のときにおこされた願いということである。この願いには、それが完成しなければ仏に成らぬという誓いをともなっているので[[誓願]]といわれる。 | ||
− | この因本の願には、総願と別願とがある。総願とは、すべての<kana>[[菩薩]](ぼさつ)</kana> | + | この因本の願には、総願と別願とがある。総願とは、すべての<kana>[[菩薩]](ぼさつ)</kana>が共通しておこすものであり、「無辺の<kana>衆生(しゅじょう)</kana>を救済しようという願い、無数の煩悩を断とうという願い、無尽の法門を知ろうという願い、無上の仏道を成就しようという願い」のいわゆる<kana>[[四弘誓願]](しぐぜいがん)</kana>として知られている。 |
次に[[別願]]とは、それぞれの菩薩に特有なものであり、これによってそれぞれの仏の性格が異なってくる。阿弥陀仏が因位のときにおこされた四十八願は、この別願である。『<kana>大経(だいきょう)</kana>』(上)には、<kana>法蔵(ほうぞう)</kana>菩薩が<kana>世(せ)</kana><kana>自在(じざい)</kana><kana>王仏(おうぶつ)</kana>のもとで二百一十億の諸仏の浄土のなかより、粗悪なものを選び捨てて、善妙なものを選び取り四十八願を建立したと説かれてある。 | 次に[[別願]]とは、それぞれの菩薩に特有なものであり、これによってそれぞれの仏の性格が異なってくる。阿弥陀仏が因位のときにおこされた四十八願は、この別願である。『<kana>大経(だいきょう)</kana>』(上)には、<kana>法蔵(ほうぞう)</kana>菩薩が<kana>世(せ)</kana><kana>自在(じざい)</kana><kana>王仏(おうぶつ)</kana>のもとで二百一十億の諸仏の浄土のなかより、粗悪なものを選び捨てて、善妙なものを選び取り四十八願を建立したと説かれてある。 |
2013年5月16日 (木) 15:27時点における版
補 註 |
---|
阿弥陀仏 |
往生・真実証・浄土 |
機・衆生 |
具縛の凡愚・屠沽の下類 |
業・宿業 |
正定聚 |
信の一念・聞 |
真実教 |
旃陀羅 |
大行・真実行 |
大信・真実信 |
他力・本願力回向 |
同朋・同行 |
女人・根欠・五障三従 |
方便・隠顕 |
菩薩 |
本願 |
→七祖 補註へ |
17本願(ほんがん)
本願の意味には
この因本の願には、総願と別願とがある。総願とは、すべての
次に別願とは、それぞれの菩薩に特有なものであり、これによってそれぞれの仏の性格が異なってくる。阿弥陀仏が因位のときにおこされた四十八願は、この別願である。『
根本の願いとは、この四十八願は第十八願を根本とし、余の四十七願は第十八願を開いた枝末の願とみることをいう。そこで
第十八願には、「たとひわれ仏を得たらんに、
親鸞聖人はここに誓われてある
この五願は真実五願といわれ、『
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。