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「起行門」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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善導大師は、五正行の中の称名を[[正定業]]とし、称名を助ける前三後一の助業として浄土教の宗教儀礼を確立された。<br />
 
善導大師は、五正行の中の称名を[[正定業]]とし、称名を助ける前三後一の助業として浄土教の宗教儀礼を確立された。<br />
 
法然聖人は『選択本願念仏集』で「廃立」「助正」「傍正」の三義を建て、選択念仏の安心門と起行門の区別を明確にされ。あくまで[[選択本願]]の[[廃立]]の立場に立たれながら、
 
法然聖人は『選択本願念仏集』で「廃立」「助正」「傍正」の三義を建て、選択念仏の安心門と起行門の区別を明確にされ。あくまで[[選択本願]]の[[廃立]]の立場に立たれながら、
:念仏を助成せんがためにこの諸行を説くとは、これにまた二の意あり。一には同類の善根をもつて念仏を助成す。二には異類の善根をもつて念仏を助成す。
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:念仏を助成せんがためにこの諸行を説くとは、これにまた二の意あり。一には同類の善根をもつて念仏を助成す。二には異類の善根をもつて念仏を助成す。 ([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1218|選択本願念仏集 P.1218]])
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と、同類の善根と異類の善根の助成を示して下さった。
 
と、同類の善根と異類の善根の助成を示して下さった。
 
『和語灯録』では、
 
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:又いはく、現世をすぐへき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくは、なになりともよろづをいとひすてて、これをとどむべし。
 
:又いはく、現世をすぐへき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくは、なになりともよろづをいとひすてて、これをとどむべし。
:いはく、ひじりで申されずば、めをまうけて申べし。妻をまうけて申されずば、ひじりにて申すべし。住所にて申されずば、流行して申すべし。流行して申されずば、家に居て申すべし。自力の衣食にて申されずば、他人にたすけられて申べし。他人にたすけられて申されずば、自力の衣食にて申べし。一人して申されずば、同朋とともに申べし。共行して申されずは、一人籠居て申すべし。'''衣食住の三は、念仏の助業也'''。これすなはち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、'''何事もみな念仏の助業也'''。
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:いはく、ひじりで申されずば、めをまうけて申べし。妻をまうけて申されずば、ひじりにて申すべし。住所にて申されずば、流行して申すべし。流行して申されずば、家に居て申すべし。自力の衣食にて申されずば、他人にたすけられて申べし。他人にたすけられて申されずば、自力の衣食にて申べし。一人して申されずば、同朋とともに申べし。共行して申されずは、一人籠居て申すべし。'''衣食住の三は、念仏の助業也'''。これすなはち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、'''何事もみな念仏の助業也'''。 ([[hwiki:和語灯録#P--683|和語灯録-諸人伝説の詞]])
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と異類(五正行以外の行業)の助業も念仏を荘厳する助業とされたのであった。なお、「安心門」と「起行門」は、その論理構造のあらわし方が違うことに留意すること。御開山の示された浄土真宗は[[誓願一仏乗]]の[[本願力の回向|本願力回向]]のはたらきを[[信知]]するご法義であったからである。
 
と異類(五正行以外の行業)の助業も念仏を荘厳する助業とされたのであった。なお、「安心門」と「起行門」は、その論理構造のあらわし方が違うことに留意すること。御開山の示された浄土真宗は[[誓願一仏乗]]の[[本願力の回向|本願力回向]]のはたらきを[[信知]]するご法義であったからである。
  

2017年12月13日 (水) 20:17時点における版

きぎょう-もん

 起行とは、浄土真宗において安心(信心)に基づく実践行をいう。起行善導大師の『往生礼讃』に、安心・起行・作業とある起行から実践を起行門という(往生礼讃 P.655)。具体的には、

礼拝(らいはい)
讃嘆(さんだん)
作願(さがん)
観察(かんざつ)
回向(えこう)

五念門、または

読誦(どくじゅ)
観察
礼拝
称名(しょうみょう)
讃嘆供養

五正行を指し、浄土真宗の宗教的実践をいう。特に往生を決定的にするはたらきの称名を正定業とする。起行門は、浄土真宗の儀礼として仏徳讃歎の行業でもある。
善導大師は、五正行の中の称名を正定業とし、称名を助ける前三後一の助業として浄土教の宗教儀礼を確立された。
法然聖人は『選択本願念仏集』で「廃立」「助正」「傍正」の三義を建て、選択念仏の安心門と起行門の区別を明確にされ。あくまで選択本願廃立の立場に立たれながら、

念仏を助成せんがためにこの諸行を説くとは、これにまた二の意あり。一には同類の善根をもつて念仏を助成す。二には異類の善根をもつて念仏を助成す。 (選択本願念仏集 P.1218)

と、同類の善根と異類の善根の助成を示して下さった。 『和語灯録』では、

又いはく、現世をすぐへき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくは、なになりともよろづをいとひすてて、これをとどむべし。
いはく、ひじりで申されずば、めをまうけて申べし。妻をまうけて申されずば、ひじりにて申すべし。住所にて申されずば、流行して申すべし。流行して申されずば、家に居て申すべし。自力の衣食にて申されずば、他人にたすけられて申べし。他人にたすけられて申されずば、自力の衣食にて申べし。一人して申されずば、同朋とともに申べし。共行して申されずは、一人籠居て申すべし。衣食住の三は、念仏の助業也。これすなはち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事もみな念仏の助業也。 (和語灯録-諸人伝説の詞)

と異類(五正行以外の行業)の助業も念仏を荘厳する助業とされたのであった。なお、「安心門」と「起行門」は、その論理構造のあらわし方が違うことに留意すること。御開山の示された浄土真宗は誓願一仏乗本願力回向のはたらきを信知するご法義であったからである。

安心門
起行
正定業
五正行
助業