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「可聞可称」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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法然聖人は、称えて聞える「声につきて往生の思いをなすべし」といわれていた。
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2018年4月27日 (金) 13:59時点における版

かもん-かしょう

 聞くことができて称えることができるという意。

御開山は、

「「其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転
「其仏本願力」といふは、弥陀の本願力と申すなり。「聞名欲往生」といふは、「聞」といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり、「欲往生」といふは安楽浄刹に生れんとおもへとなり。(尊号 P.645)

とされておられた。

法然聖人は、称えて聞える「声につきて往生の思いをなすべし」といわれていた。

ただ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなへば、こゑについて决定往生のおもひをなすべし。その决定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。 かく心えつればやすき也。往生は不定におもへばやがて不定なり、一定とおもへばやがて一定する事なり。 →(『和語灯録』-「往生大要鈔」)

「隠/顕」