「利益」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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衆生を利益するのを<kana>[[利生]](り-しょう)</kana>、<kana>[[利物]](り-もつ)</kana>といい、神仏などの霊験を特に利生ということもある。(仏教学辞典) | 衆生を利益するのを<kana>[[利生]](り-しょう)</kana>、<kana>[[利物]](り-もつ)</kana>といい、神仏などの霊験を特に利生ということもある。(仏教学辞典) | ||
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+ | : それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。 | ||
+ | :この経の大意は、<b>弥陀</b>、誓を超発して、広く[[法蔵]]を開きて、凡小を哀れんで選んで[[功徳の宝]]を施することを致す。<b>釈迦</b>、世に出興して、[[道教]]を[[光闡]]して、群萌を拯ひ恵むに'''[[真実の利]]'''をもつてせんと欲すなり。 | ||
+ | :ここをもつて{{DotUL|如来の本願を説きて経の[[宗致]]とす、すなはち仏の名号をもつて経の[[体]]とするなり。([[教巻#P--135|教巻 P.135]])}} | ||
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+ | と『大経』は真実の利を説く経典であるといわれている。<br /> | ||
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+ | : ゆゑに『大本』にのたまはく、「仏弥勒に語りたまはく、〈それ、かの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して'''乃至一念'''せんことあらん。 まさに知るべし、この人は'''大利'''を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなり〉」と。([[行巻#P--188|行巻 P.188]]) | ||
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+ | とある〔なんまんだぶ〕の「大利」であった。 | ||
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2018年10月29日 (月) 03:17時点における版
りやく
衆生を教化し救いとること。 (往生礼讃 P.679)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- 利益
真宗では真実信心のものが、この世に生存しながらすでに仏となることに定まるのを現益とし、死後浄土へ生まれると共に成仏するのを当益とする。
衆生を利益するのを
「教巻」には、
と『大経』は真実の利を説く経典であるといわれている。
この真実の利益とは、
- ゆゑに『大本』にのたまはく、「仏弥勒に語りたまはく、〈それ、かの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。 まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなり〉」と。(行巻 P.188)
とある〔なんまんだぶ〕の「大利」であった。