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「大涅槃」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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   【左訓】「まことのほとけなり」([[一多#P--679|一多 P.679]])
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 大いなる仏のさとり。 ([[安楽集 (七祖)#P--267|安楽集 P.267]]、[[安楽集 (七祖)#P--278|安楽集 P.278]])
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2024年9月28日 (土) 00:01時点における最新版

だいねはん

 【左訓】「まことのほとけなり」(一多 P.679)

 大いなる仏のさとり。 (安楽集 P.267安楽集 P.278)


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:涅槃

ねはん 涅槃

 梵語ニルヴァーナ (nirvāṇa) の音訳。泥恒とも音訳し、滅度寂滅などと意訳する。さとりの境地のこと。すべての煩悩の火が完全に吹き消された境地のことで、仏教の最終的実践目的は涅槃に至ることとされる。仏の入滅をいう場合もある。涅槃について、のちに有余涅槃無余涅槃などと種々に解釈された。亡くなるまでの釈尊は有余涅槃、亡くなることで無余涅槃に入ったとみる。大乗仏教が展開すると、大乗の涅槃は常楽我浄四徳をそなえた無為涅槃であって消滅変化を超えた常住絶対のさとりの境地であるのに対し、小乗の涅槃は四徳をそなえない有為涅槃であるとされた。また、慈悲に基づく衆生救済のために迷いの世界に出向くありかたをいう無住処涅槃や、永遠・常住で本来的に清浄である真如を涅槃の本質とみる自性清浄涅槃が説かれた。(浄土真宗辞典)

無住処涅槃