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「善本」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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:1.本は'''因'''の意味、勝れた果を得るための因となる<kana>善根(ぜんごん)</kana>。→[[善根]](ぜんごん)。
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:Ⅰ.本は'''因'''の意味、勝れた果を得るための因となる<kana>善根(ぜんごん)</kana>。→[[善根]](ぜんごん)。
:2.[[阿弥陀仏]]の<kana>[[名号]](みょうごう)</kana>のこと。一切の善の根本であるからこのようにいう。この場合は本は'''根本'''の意味。
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:Ⅱ.[[阿弥陀仏]]の[[名号]](みょうごう)のこと。一切の善の根本であるからこのようにいう。この場合は本は'''根本'''の意味。
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:Ⅲ. 善根に同じ。→[[善根]](ぜんごん)。 ([[観経疏 序分義 (七祖)#P--343|序分義 P.343]]、[[安楽集 (七祖)#P--186|安楽集 P.186]]、[[往生礼讃 (七祖)#P--675|往生礼讃 P.675]]、[[往生要集中巻 (七祖)#P--1008|要集 P.1008]]、[[往生要集下巻 (七祖)#P--1150|要集 P.1150]])
  
 
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:Ⅰ 本は因の意。すぐれた果徳を得るための因となる[[善根]]のこと。
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2023年11月8日 (水) 17:38時点における最新版

ぜんぽん

Ⅰ.本はの意味、勝れた果を得るための因となる善根(ぜんごん)。→善根(ぜんごん)。
Ⅱ.阿弥陀仏名号(みょうごう)のこと。一切の善の根本であるからこのようにいう。この場合は本は根本の意味。
Ⅲ. 善根に同じ。→善根(ぜんごん)。 (序分義 P.343安楽集 P.186往生礼讃 P.675要集 P.1008要集 P.1150)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

ぜんぽん 善本

Ⅰ 本は因の意。すぐれた果徳を得るための因となる善根のこと。
Ⅱ 本は根本の意。阿弥陀仏名号のこと。名号は一切の善の根本であるからこのようにいう。「化身土巻」 には
「善本とは如来の嘉名なり。この嘉名は万善円備せり、一切善法の本なり」(註 399)

とある。→善本徳本。(浄土真宗辞典)

と、善本は嘉名〔なんまんだぶ〕であると定義されておられる。

徳本
善本徳本
六三法門