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「令諸衆生…」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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<kana>令諸衆生(りょうしょ-しゅじょう)</kana> <kana>功徳成就(くどくーじょうじゅ)</kana>。
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*『教行証文類』「信巻」には「至心釈」で如来が[[真実]]であることを以下の『無量寿経』「勝行段」を引文されておられる。
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経文証(勝行段)<br />
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([[大経上#P--27|大経 P.27]])
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:これを『大経』(上)には'''「令諸衆生功徳成就」'''と説けり。されば[[無始]]以来つくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく願力不思議をもつて消滅するいはれあるがゆゑに、正定聚不退の位に住すとなり。これによりて「[[煩悩を断ぜずして涅槃をう]]」といへるはこのこころなり。この義は[[当流一途の所談]]なるものなり。他流の人に対してかくのごとく[[沙汰あるべからざる]]ところなり。よくよくこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
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とされておられた。[[信心]][[獲得]]とは[[第十八願|第十八]]の願をこころうるなり、であった。
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2022年11月22日 (火) 01:44時点における最新版

りょうしょしゅじょう…

 「もろもろの衆生をして功徳成就せしむ」(信巻訓) (御文章 P.1192) (大経 P.27)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

令諸衆生(りょうしょ-しゅじょう) 功徳成就(くどくーじょうじゅ)

  • 『教行証文類』「信巻」には「至心釈」で如来が真実であることを以下の『無量寿経』「勝行段」を引文されておられる。

経文証(勝行段)
(大経 P.27)

【22】 ここをもつて『大経』(上 二六)にのたまはく、「欲覚・瞋覚・害覚を生ぜず。欲想・瞋想・害想を起さず。色・声・香・味の法に着せず。忍力成就して衆苦を計らず。少欲知足にして染・恚・痴なし。三昧常寂にして智慧無碍なり。虚偽諂曲の心あることなし。和顔愛語にして意を先にして承問す。勇猛精進にして志願倦きことなし。もつぱら清白の法を求めて、もつて群生を恵利しき。三宝を恭敬し、師長に奉事しき。大荘厳をもつて衆行を具足して、もろもろの衆生をして功徳成就せしむとのたまへり」と。{以上}(信巻 P.232)

蓮如さんは阿弥陀如来の回向の意を『御文章』で、

信心獲得章

(5)

 信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。このゆゑに、南無帰命する一念の処(ところ)に発願回向のこころあるべし。これすなはち弥陀如来の凡夫に回向しましますこころなり。
これを『大経』(上)には「令諸衆生功徳成就」と説けり。されば無始以来つくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく願力不思議をもつて消滅するいはれあるがゆゑに、正定聚不退の位に住すとなり。これによりて「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といへるはこのこころなり。この義は当流一途の所談なるものなり。他流の人に対してかくのごとく沙汰あるべからざるところなり。よくよくこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
とされておられた。信心獲得とは第十八の願をこころうるなり、であった。