「上求菩提・下化衆生」の版間の差分
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− | この<kana>[[菩提薩埵]](ぼだいさった)</kana>(梵語 ボディサットバ bodhi-sattva)の略語である、[[菩薩]]という語の大乗的な字句解釈として、菩薩の「菩」は「上に菩提を求める」自利であるとし、衆生を意味する「薩」を「下に衆生を化す」る利他であるとして、大乗の菩薩の語義であるとしたのが「上求菩提・下化衆生」という語の意であろう。 | + | :初めに〔菩薩の〕[[行相]]とは、総じてこれをいはば'''[[願作仏心]]'''なり。 また、[[上求菩提・下化衆生]]の心と名づく。 別してこれをいはば[[四弘誓願]]なり。([[往生要集上巻 (七祖)#四弘誓願|要集 P.903]]) 〔…〕内は林游の追記 |
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+ | とある。法然聖人は『[[三部経大意]]』で、 | ||
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+ | :ある大乗経にいはく、「菩薩の願に二種あり。 一には上求菩提、二には下化衆生なり。その上求菩提の本意は、衆生を済度しやすからむがためなり」と云々。しかれば、たゞ本意下化衆生のこゝろにあり。 ([[三部経大意#P--782]]) | ||
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+ | :「[[菩薩]]」とは、もしつぶさに梵音を存ぜば「[[菩提薩埵]]」といふべし。「[[菩提]]」は、これ仏道の名なり。「[[薩埵]]」は、あるいは衆生といひ、あるいは勇健といふ。仏道を求むる衆生、勇猛の健志あるがゆゑに[[菩提薩埵]]と名づく。([[浄土論註 (七祖)#P--50|論註 P.50]]) | ||
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+ | <!--この<kana>[[菩提薩埵]](ぼだいさった)</kana>(梵語 ボディサットバ bodhi-sattva)の略語である、[[菩薩]]という語の大乗的な字句解釈として、菩薩の「菩」は「上に菩提を求める」自利であるとし、衆生を意味する「薩」を「下に衆生を化す」る利他であるとして、大乗の菩薩の語義であるとしたのが「上求菩提・下化衆生」という語の意であろう。--> | ||
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2024年8月28日 (水) 13:27時点における最新版
じょうぐぼだい。げけしゅじょう
「上に菩提を求め、下に衆生を化す」。 (要集 P.903)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
智慧を以って上は無上菩提を求め、慈悲を以って下は衆生を化し、諸の波羅蜜行を修めて未来に仏果を成就する修行をすること。『論註』では「願作仏心」(上求菩提)、「度衆生心」(下化衆生)といふ。
『往生要集』で四弘誓願を説くところで、
とある。法然聖人は『三部経大意』で、
- ある大乗経にいはく、「菩薩の願に二種あり。 一には上求菩提、二には下化衆生なり。その上求菩提の本意は、衆生を済度しやすからむがためなり」と云々。しかれば、たゞ本意下化衆生のこゝろにあり。 (三部経大意#P--782)
と上求菩提は下化衆生の為といわれておられた。
また、自利、利他の二行円満な菩薩を指し、自利のみの声聞、縁覚の二乗に対していう。
『浄土論註』では
- 「菩薩」とは、もしつぶさに梵音を存ぜば「菩提薩埵」といふべし。「菩提」は、これ仏道の名なり。「薩埵」は、あるいは衆生といひ、あるいは勇健といふ。仏道を求むる衆生、勇猛の健志あるがゆゑに菩提薩埵と名づく。(論註 P.50)
という。
- →四弘誓願
◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:上求菩提下化衆生
じょうぐぼだいげけしゅじょう/上求菩提下化衆生
菩薩が発す菩提心の内実を二句に分けて表現したもの。略して上求下化という。自らは成仏を希求して向上しつつ、翻って広く衆生を教化して仏道に導くこと。源信『往生要集』上末に「〔菩提心の〕行相は総じて之を謂わば作仏を願う心なり。亦た上求菩提下化衆生心と名く。別して之を謂わば四弘誓願なり」(浄全一五・六九下/正蔵八四・四八下)といい、菩薩が仏になろうと願う本来の動機そのものであって、開けば四弘誓願となる。『大般若経』に「有情類の為に大菩提を求め、亦た菩提ある故に菩薩と名く」(正蔵五・四〇三下)というように、発菩提心とは菩薩の悲心の発露であり、下化衆生が上求菩提の源となる。こうした菩薩の個々の具体的な方策が、例えば阿弥陀仏の四十八願などの別願であり、法然『三部経釈』には「菩薩の道を行じ給いし時の善巧方便のちかいみなこれまちまちなる事也」(聖典四・六/浄全九・四七〇下)という。上求菩提は上求仏道、下化衆生は下度衆生などともいわれる。
【執筆者:小澤憲雄】