「必至滅度」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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: たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、[[定聚]]に住し、かならず[[滅度]]に至らずは、[[正覚]]を取らじ。([[大経上#11gan|大経 P.17]]) | : たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、[[定聚]]に住し、かならず[[滅度]]に至らずは、[[正覚]]を取らじ。([[大経上#11gan|大経 P.17]]) | ||
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: それ衆生ありてかの国に生るるものは、みなことごとく[[正定の聚|正定聚]]に住す。ゆゑはいかん。かの仏国のなかにはもろもろの[[邪聚]]および[[不定聚]]なければなり。([[大経下#P--41|大経 P.41]]) | : それ衆生ありてかの国に生るるものは、みなことごとく[[正定の聚|正定聚]]に住す。ゆゑはいかん。かの仏国のなかにはもろもろの[[邪聚]]および[[不定聚]]なければなり。([[大経下#P--41|大経 P.41]]) | ||
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+ | と「かの国に生るるものは」とあり、第十一願は、浄土で必ず仏に成る[[正定聚]]に住せしめる願であった。「[[必至滅度]]」はその正定聚の者は必ず滅度へ至るべき位であることを説明したものであろう。 | ||
御開山は、なんまんだぶを称える信心の行者は、本願力に包摂されているから現世においてすでに[[正定聚]]であり浄土へ往生すればただちに必ず[[滅度]]([[大涅槃]]、[[無住処涅槃]])に至るとみておられたのであった。ゆえに[[第十一願]]を「必至滅度の願」と呼ばれたのであろう。 | 御開山は、なんまんだぶを称える信心の行者は、本願力に包摂されているから現世においてすでに[[正定聚]]であり浄土へ往生すればただちに必ず[[滅度]]([[大涅槃]]、[[無住処涅槃]])に至るとみておられたのであった。ゆえに[[第十一願]]を「必至滅度の願」と呼ばれたのであろう。 | ||
2024年2月12日 (月) 12:26時点における最新版
ひっしめつど
必ず仏のさとりを得ること。第十一願によって与えられる
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- 必ず滅度に至る。
「証巻」には、
と第十一願を「必至滅度の願」と標挙され「難思議往生」とされていた。
第十一願には、
と「国中の人・天」(国中とは浄土の国中のこと)とあり、第十一願成就文には、
と「かの国に生るるものは」とあり、第十一願は、浄土で必ず仏に成る正定聚に住せしめる願であった。「必至滅度」はその正定聚の者は必ず滅度へ至るべき位であることを説明したものであろう。 御開山は、なんまんだぶを称える信心の行者は、本願力に包摂されているから現世においてすでに正定聚であり浄土へ往生すればただちに必ず滅度(大涅槃、無住処涅槃)に至るとみておられたのであった。ゆえに第十一願を「必至滅度の願」と呼ばれたのであろう。