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「便同弥勒」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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 すなわち弥勒に同じ。念佛の行者は、弥勒菩薩と同じく次生で必ず成仏する身に定まるから、「すなわち弥勒に同じ」というのである。→[[弥勒]] 、[[正定聚]] 、[[補註6]]。 ([[消息上#P--748|消息 P.748]],[[消息上#P--758|P.758]])
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念佛の行者は、[[弥勒菩薩]]と同じく次生で必ず[[成仏]]する身に定まるから、「すなわち弥勒に同じ」というのである。→[[弥勒]] 、[[正定聚]] 、[[補註6]]。 ([[消息上#P--748|消息 P.748]],[[消息上#P--758|P.758]])
  
 
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2024年2月11日 (日) 00:47時点における最新版

べんどうみろく

 すなわち弥勒に同じ。

念佛の行者は、弥勒菩薩と同じく次生で必ず成仏する身に定まるから、「すなわち弥勒に同じ」というのである。→弥勒正定聚補註6。 (消息 P.748,P.758)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

◆ 参照読み込み (transclusion) ノート:便同弥勒

便同弥勒(すなわち弥勒に同じ)

王日休の『龍舒増廣淨土文』からの引文。便同とは(便(すなわ)ち同じといふ意)

この文中の「便同弥勒(すなわち弥勒に同じ)」が、正定聚初地不退説をこえて弥勒菩薩と同じ等覚であることを示す引文。なお現在の『大正蔵』の『龍舒浄土文』には「此経 寔往生之径術 脱苦之神方(この『経』はまことに往生の径術、脱苦の神方なり)」の部分はない。欄外の註釈文が本文に紛れ込んだものか。

大正蔵『龍舒浄土文』

我聞。無量壽經。衆生聞是佛名。信心歡喜。乃至一念。願生彼國。即得往生。住不退轉。
われ『無量寿経』を聞くに、〈衆生、この仏名を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せんもの、かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住す〉と。
不退轉者。梵語謂之阿惟越致。法華經謂 彌勒菩薩所得報地也。
不退転は梵語にはこれを阿惟越致といふ。『法華経』にはいはく、〈弥勒菩薩の所得の報地なり〉と。
一念往生便同彌勒
一念往生、便(すなわ)ち弥勒に同じ。
佛語不虚。此経 寔往生之径術 脱苦之神方。應皆信受
仏語虚しからず、この『経』はまことに往生の径術、脱苦の神方なり。みな信受すべし。(信巻 P.263)

御開山は前記の「便同弥勒」の引文をされた後に、『大経』の浄土に往生する者は「次如弥勒(次いで弥勒のごとし)」(信巻 P.263)の文と、『如来会』の「成不退転。当生彼国(不退転を成ぜるなり。まさにかの国に生ずべし)」(信巻 P.263)の、ともに弥勒に告げる文を引文され、さらに用欽の『阿弥陀経疏超玄記』の普授(成仏の授記)を示す文(信巻 P.264)を引文される。そして御自釈で、

まことに知んぬ、弥勒大士は等覚金剛心を窮むるがゆゑに、竜華三会の暁、まさに無上覚位を極むべし。
念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。ゆゑに便同といふなり。しかのみならず金剛心を獲るものは、すなはち韋提と等しく、すなはち喜・悟・信の忍の忍を獲得すべし。これすなはち往相回向の真心徹到するがゆゑに、不可思議の本誓によるがゆゑなり。(信巻 P.264)

と、念仏の衆生を弥勒に便同(すなわち同じ)とされておられる。
弥勒菩薩は、五十六億七千万年後に竜華樹の下で成仏し三度の説法が催されることから、その会座竜華三会という。しかして、なんまんだぶを称える念仏の我らは、横超の金剛心を窮むるがゆゑに臨終の一念に大般涅槃を超証するのだといわれるのである。
『一念多念文意』でも「便同弥勒」の文を釈しておられる。

また王日休のいはく(龍舒浄土文)、「念仏衆生便同弥勒」(意)といへり。「念仏衆生」は、金剛の信心をえたる人なり。「便」はすなはちといふ、たよりといふ。信心の方便によりて、すなはち正定聚の位に住せしめたまふがゆゑにとなり。「同」はおなじきなりといふ、念仏の人は無上涅槃にいたること、弥勒におなじきひとと申すなり。 (一多 P.681)

とある。『正像末和讃』では、便同弥勒(すなわち弥勒に同じ)の意を、
(26)

五十六億七千万
 弥勒菩薩はとしをへん
 まことの信心うるひとは
 このたびさとりをひらくべし (正像 P.604)

(27)

念仏往生の願により
 等正覚にいたるひと
 すなはち弥勒におなじくて
 大般涅槃をさとるべし (正像 P.605)

(28)

真実信心うるゆゑに
 すなはち定聚にいりぬれば
 補処の弥勒におなじくて
 無上覚をさとるなり (正像 P.605)

と讃詠されておられた。

如来とひとし
正定聚