「非行非善」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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その内容をくわしく顕されたのが聖人の主著の『教行証文類』でした。そこには本願力回向の内容を開いて往相 (浄土に往生するすがた)・還相(浄土から煩悩の世界へかえってきて衆生を済度していくすがた)の二種廻向とし、その往相の因果として教と行と信と証の四法を詳しく明かされたのでした。 | その内容をくわしく顕されたのが聖人の主著の『教行証文類』でした。そこには本願力回向の内容を開いて往相 (浄土に往生するすがた)・還相(浄土から煩悩の世界へかえってきて衆生を済度していくすがた)の二種廻向とし、その往相の因果として教と行と信と証の四法を詳しく明かされたのでした。 | ||
− | + | このような本願力回向のはたらきを、聖人は他力といわれたのです。すなわち他力とは、如来に背いた存在である私を念仏者たらしめてている力であり、私を念仏者たらしめたその力が、私を涅槃の浄土へ生まれしめたまうことをいうのです。そこには私のはからいは全くまじわることがありません。<ref>浄土真宗の先達は、<br> | |
引く足も 称える口も 拝む手も<br> | 引く足も 称える口も 拝む手も<br> | ||
弥陀願力の 不思議なりけり (伝 寂如上人)<br> | 弥陀願力の 不思議なりけり (伝 寂如上人)<br> |
2020年9月19日 (土) 09:41時点における版
ひぎょう-ひぜん
行にあらず、善にあらず、という意。念仏は、本願によって選択された行業であるから行者のがわからは非行非善であるということ。「信巻」で本願力回向の平等の「大信」を讃嘆し、
- 凡按大信海者、不簡貴賤緇素、不謂男女老少、不問造罪多少、不論修行久近、非行非善、非頓非漸、非定非散、非正観 非邪観、非有念 非無念。非尋常 非臨終、非多念 非一念、唯是 不可思議不可称不可説 信楽也。喩如阿伽陀薬 能滅一切毒。如来誓願薬 能滅智愚毒也。
- おほよそ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず、行にあらず善にあらず、頓にあらず漸にあらず、定にあらず散にあらず、正観にあらず邪観にあらず、有念にあらず無念にあらず、尋常にあらず臨終にあらず、多念にあらず一念にあらず、ただこれ不可思議不可称不可説の信楽なり。たとへば阿伽陀薬のよく一切の毒を滅するがごとし。如来誓願の薬はよく智愚の毒を滅するなり。(信巻 P.245)
と「非行非善」とある。なお、この文は四つの「不」と十四の「非」があるところから四不十四非の文といわれ、人間の相対の思議を超えた「不可思議不可称不可説」の本願力回向の信楽であるとされている。
また御消息では、
- 「弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、ただ仏名をたもつなり」。名号はこれ善なり行なり、行といふは善をするについていふことばなり。本願はもとより仏の御約束とこころえぬるには、善にあらず行にあらざるなり。( 消息 P.807)
とある。『歎異抄』八条には、
- 念仏は行者のために非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他力にして自力をはなれたるゆゑに、行者のためには非行・非善なりと[云云]。(歎異抄 P.836)
といわれている。
浄土教では、念仏は、行であり善であるのだが、「非行非善」という不思議な表現について梯實圓和上の、聖典セミナー『歎異抄』から、その意を窺ってみる。
目 次
『宝号経』と『弥陀経義集』
『歎異抄』第八条は、念仏は行者の立場からいえば「非行非善」であるという言葉をもって、念仏が他力の行であるということを明らかにしようとされたものです。
「念仏は行者のために非行・非善なり」という不思議なことばは『宝号経』の経文を少し変えられたもののようです。『親鸞聖人御消息』第四十二通(『末灯鈔』第二十二通)に
- 『宝号経』にのたまはく、「弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、ただ仏名をたもつなり」。名号はこれ善なり行なり、行といふは善をするについていふことばなり。本願はもとより仏の御約束とこころえぬるには、善にあらず行にあらざるなり。かるがゆゑに他力とは申すなり。
といわれています。これはもと『末灯鈔』第二十二通に収録されていた御法語であって、お手紙ではありません。おそらく門弟の誰かが、『宝号経』に説かれている「非行非善」ということについて質問したものに応答されたものでしょう。あるいは『歎異抄』の著者も同じようなことを聖人におたずねしたのかもしれません。
ところで「非行非善」という言葉の出処である『宝号経』は、『宝号王経』ともよばれていたようですが、中国の経典目録にもなく、現存する『大蔵経』のなかにも存在しない経典で、他に引用されたものもなく、わずかに『弥陀経義集』のなかに、
- 又宝号王経、非行非善、但持仏名故、生不退位 (また宝号王経には、行に非ず、善に非ず、ただ仏名を持つが故に不退位に生ずといへり)
というふうに引用文があるばかりで、他に引用された形跡もありません。
この『弥陀経義集』という書物は、善導大師のお聖教のなかからの文章を拾い集めて、一見、大師の著述のようにみせかけているものですが、もちろん善導大師のものではありません。著者は不明ですが、古写本の奥書には「寛元二年(1244)四月に尊阿が書写した」旨が記されていますから少なくともそのころには存在していたことがわかります。おそらく成立も、それをあまりさかのぼらないころであったと思います。
この書のなかには、「浄土三部経」の文も引用されていますが、そのほかに『宝華経』『大仏経』『宝号王経』などが引かれています。しかし三部経のほかは、経典目録にもなく、現存していないばかりか、引用されている文章からみても、どうもそのころに偽作されたものではないかといわれています。江戸時代の終わりの学者で、『歎異抄聞記』の著者として有名な妙音院了祥師の『評弥陀経義』(『真宗全書』五八・四八九頁) によれば、親鸞聖人の書物を見たことのある一念義系の人がこうした偽経をつくり、『弥陀経義集』も書いていたのであろうとまでいっています。そこまで言い切れるかどうか資料的にたしかめることはできませんが、『弥陀経義集』が善導大師のものではなく、『宝号王経』も真偽未詳の文献であることはたしかです。
親鸞聖人は『弥陀経義集』の存在を知っておられました。というのは、門弟の高田の慶信房が聖人にさしだした正嘉二年(親鸞聖人八十六歳)のときの手紙で、いわゆる慶信上書(『親鸞聖人御消息』第十三通─『註釈版聖典』七六二頁)に『弥陀経義集』の名をあげており、聖人の門弟たちによく読まれていたようです。しかし、親鸞聖人は『弥陀経義集』についてはなにもおっしゃっていません。
ただ、そこに引用されている『宝号王経』の「非行非善」ということばは用いておられますから、少なくともこの言葉そのものは、ただしい法義をあらわしているとみられていたはずです。『宝号王経』がたとえ偽経であったとしても、親鸞聖人が、このお言葉は、本願の念仏のいわれをあらわすのに適切であるといって依用されたものは、信順するにたる真実を表していたとみるべきです。もっともその場合は、聖人のお心にかなって用いられたことばだけに限るべきですが……。
名号は善なり行なり
さて『親鸞聖人御消息』の法語では、『宝号経』のことばとして、「弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、ただ仏名をたもつなり」といわれておりますが、『弥陀経義集』に引用されたことばは「非行非善、但持仏名故、生不退位 」となっております。そこで、この両文をあわせると、「弥陀の本願は、行に非ず、善に非ず、ただ仏名をたもつが故に不退の位に生ず」といわれていたのであろうと思います。それは「弥陀の本願は、念仏以外の行や善をなせとはいわれていない。ただ仏名を称えるがゆえに浄土に生まれて、不退の位にいたらしめると誓われている」というのでしょう。
これについて、親鸞聖人は「名号はこれ善なり行なり、行といふは善をするについていふことばなり。本願はもとより仏の御約束とこころえぬるには、善にあらず行にあらざるなり。かるがゆゑに他力とは申すなり」と解説されたのでした。おそらく『宝号経』の非行非善は、念仏以外の行や善は本願の行でも善でもないということだったと思いますが、親鸞聖人は本願の念仏が、廃悪修善(悪をやめ、善をおさめる)の行ではないということを、非行非善といわれたものとみられていたことがわかります。さて「名号はこれ善なり行なり」といわれたのは、次の「ただ仏名をたもつなり」とある仏の名号が、本来、善であり、行であるということを述べたもので、名号の徳義をあらわすための解釈です。
名号の善徳
名号が最高の善であるということは、すでに法然聖人が『選択集』本願章にくわしく述べられています。阿弥陀仏が称名を往生の行として選ばれた理由をあげて、
- 名号はこれ万徳の帰するところなり。しかればすなはち弥陀一仏のあらゆる四智・三身・十力・四無畏等の一切の内証の功徳、相好・光明・説法・利生等の一切の外用の功徳、みなことごとく阿弥陀仏の名号のなかに摂在せり。ゆゑに名号の功徳もつとも勝となす。(選択本願念仏集 P.1207)
といい、名号には阿弥陀仏が成就された一切の功徳がおさまっていて、いわば、如来そのものであるから、それをいただいて称えるものを往生せしめ、成仏せしめる徳をもっている。それゆえ最勝の行であるといわれるのです。親鸞聖人も「行文類」(『註釈版聖典』一四一頁)に、
- この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。
といわれています。
名号の行徳
また、名号が最高の行であるというのは、それは阿弥陀仏が修行されたあらゆる行の徳をまどかにそなえていて、それをいただいて称えるすべての人の往生成仏のための因行となるように成就されているからです。そのことを「正信偈」には「本願の名号は正定の業なり」といい、また、「化身土文類」には「万行円備の嘉号」とたたえられました。正定業とは、名号は、正しく往生が決定する徳をもつ行業であるということであり、万行円備とは、仏になるために必要なあらゆる行の徳が欠けめなくそなわっているということです。
このように阿弥陀仏の名号には、仏徳のすべてがこもっていて、それをいただいて称えるものを浄土に生まれしめ、阿弥陀仏と同じさとりを得しめるすばらしい徳をもっていることを「名号はこれ善なり行なり」といわれたのです。
つぎに「行といふは善をするについていふことばなり」といわれたのは、一般に行と善との関係をあらわされたもので、善なる徳目を実践することを行というと定義されたわけです。もともと善悪というのは、行為に対する価値判断のことばで、自他を安らかならしめる行いを善行といい、自他を破滅させる行いを悪行ということはすでにのべたとおりです。仏によって悟りへの道と定められているような善い行いをすることを修行というのです。
本願の誓約
ところで南無阿弥陀仏が、万人を往生せしめ成仏せしめる善であり、行であるのは、阿弥陀仏が本願にそのように誓願されたからです。
四十八願を要約された「重誓偈」の第二誓に、
- われ無量劫において、大施主となりて、あまねくもろもろの貧苦を救はずは、誓ひて正覚を成らじ。(*)
といい、善根功徳を全くもたず、心貧しく苦しむものを救うために、私は永劫にわたって偉大な施し主となり、万人に功徳の宝を施し与えようと誓われています。そして第三誓には、どのようにして施すかという方法について、
- われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。究竟して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ。(*)
と誓われました。わが名声、すなわち仏のみ名を十方の衆生に聞かせて救おうというのです。名号に仏徳のすべてをこめて人々に施し、それを聞き、み名を称えるものに仏の万徳がまどかにやどり、心貧しきものも、心豊かに生死を超えることができるようにしようというのが阿弥陀仏の本願でした。この本願があるから名号が善であり行でありえたわけです。親鸞聖人が『浄土文類聚鈔』(『同』四七九頁)に「万行円修の勝行なり」といわれたものも、私は名号をいただいて称えているばかりですが、よろずの善を、完全に修行し終わったと同じ徳を備えている最勝の行であったからです。
非行非善は自力の否定
このように阿弥陀仏の本願は、善のないものの善となり、行のないものの行となって、万人を平等に救うため南無阿弥陀仏を往生の行として選びとって回向し、これを疑いなく受け取って称えるものを仏にするとお約束されています。その本願のみ名を心得たならば、 私の方でさまざまな善を行じて往生しようとはからう必要のないことは勿論、念仏も、それを行じて善根をつもうとするような廃悪修善(悪をやめ、善をおさめる)の行ではなく、万行円備の嘉号をはからいなくいただいて称える信順の行であったのです。そのことを聖人は「本願はもとより仏の御約束とこころえぬるには、善にあらず行にあらざるなり。かるがゆゑに他力とは申すなり」といわれたのです。
このようにみてくると聖人は『宝号経』に「弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、ただ念仏をたもつなり」といわれたのは、弥陀の本願は、み名をたもてといわれているが、み名を称えて善を積めといわれたものではない。はからいなく名号を心にたもち(信)、口にたもて(行)といわれているのだと理解されたのでした。如来より決定往生の行としてたまわった本願の念仏は、本願の救いをよろこぶ信順の行であって、名号を称えて悪をやめ、善根功徳を積もうというような自力の行ではなかったのです。こうして「非行非善」とは、自力のはからいを否定して、本願他力に帰すべきことを告げていることばとなるのです。
たまわりたる行信
『宝号経』には「弥陀の本願は行にあらず、善にあらず」といわれていたのを、『歎異抄』では「念仏は行者のためには非行・非善なり」といいかえてあります。それは『宝号経』の文章を「弥陀の本願の念仏は、それを称える行者のがわからいえば、善を行ずるというようなことではないから、行でもなく善でもない」というふうに転用されたものです。
すでにいくたびも述べましたように、念仏は私が選び定めた行ではなくて、如来が選んで与えたもうた選択本願の行でした。 そして私もわがはからいによって念仏する身になったのではなくて、弥陀、釈迦。諸仏の、さまざまなお育てをうけて、念仏者たらしめられたのでした。親鸞聖人はそのことを「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」(『教行証文類』─『註釈版聖典』一三二頁)とおおせられました。「行信を獲る」とは、「南無(信)阿弥陀仏(行)」を心にいただき、口にいただいたことで、本願を信じみ名を称える身になっていることです。このようなわが身の事実のうえに、はてしなく遠いむかしからの如来のお育てを慶び、本願の結実を仰いでおられるのです。
他力ということ
法然聖人の「一百四十五箇条問答」の最後に、
- つねに悪をとどめ、善をつくるべき事をおもはへて念仏申候はんと、ただ本願をたのむばかりにて、念仏を申候はんと、いづれかよく候べき。
- 答。廃悪修善は、諸仏の通戒なり。しかれども、当世のわれらは、みなそれにはそむきたる身なれば、ただひとへに、別意弘願のむねをふかく信じて、名号をとなへさせ給はんにすぎ候まじ。有智・無智、持戒・破戒をきらはず、阿弥陀ほとけは来迎し給事にて候なり。御意え候へ。 (一百四十五箇条問答)
といわれています。
ここには悪をやめて善を修める廃悪修善の想いをもって称える念仏と、善悪をへだてず、有智、無智をえらばず平等に救いたまう本願をたのみ、本願力にまかせて称える念仏とを明確に分けてあります。
前者が自力の念仏であり、後者が他力の念仏であることはいうまでもありません。そして聖人は、自身は廃悪修善に堪えられないものであるから、ひとえに弘願他力を仰いで念仏するものであると明言されています。本願をたのんで称える他力の念仏は、廃悪修善の行ではありませんから、まさに非行非善の念仏というべきものでした。
もっとも法然聖人の門弟にも、本願を信ずることと、念仏することは、私どもがなさねばならない自力の善行であって、それが如来の救済にあずかるための条件であると考えた人々もありました。つまり私の信心・念仏の善根力(自力)が往生のための因であり、それに強力な縁として如来の救済にあずかるための必要条件であると考えた人々もありました。 つまり私の信心・念仏の善根力(自力)、が往生のための因であり、それに強力な縁としての如来の本願力(他力)が加わり、因と縁相俟って救いが成立すると理解されたわけです。
それに対して親鸞聖人は、私には本願を信ずる能力はまったくない。そんな私がはからいなく本願のみことばをききいれ、念仏を申すことができるのは、まったく阿弥陀仏の本願力のたまものであると領解されたのでした。
如来に背きはてて、本願を信ずる能力すらもたない不信の身に、「そのままをわれにまかして念仏せよ(南無)必ず救う(阿弥陀仏)」 とよびかけて私の疑いとためらいを破り、「おおせにしたがう」信心を与え、念仏する身たらしめているのが阿弥陀仏の本願力であると理解されたのでした。さらにいえば、阿弥陀仏は南無阿弥陀仏という本願の救いを告げるみことばとなって、私の上にとどき、信心となり、念仏となっているというのです。
そのことを親鸞聖人は、本願力回向の行信といわれたのでした。
本願力回向とは、阿弥陀仏の第十八願に誓われたとおりに、十方の衆生に「南無(信)阿弥陀仏(行)」という往生の因を与えて(回向)、往生成仏の果を与えていく(証)如来のはたらきをいいあらわしたことばなのです。
その内容をくわしく顕されたのが聖人の主著の『教行証文類』でした。そこには本願力回向の内容を開いて往相 (浄土に往生するすがた)・還相(浄土から煩悩の世界へかえってきて衆生を済度していくすがた)の二種廻向とし、その往相の因果として教と行と信と証の四法を詳しく明かされたのでした。
このような本願力回向のはたらきを、聖人は他力といわれたのです。すなわち他力とは、如来に背いた存在である私を念仏者たらしめてている力であり、私を念仏者たらしめたその力が、私を涅槃の浄土へ生まれしめたまうことをいうのです。そこには私のはからいは全くまじわることがありません。[1]
聖人がしばしば「他力と申し候は、とかくのはからいなきを申し候なり」(『親鸞聖人御消息』第十三通─『註釈版聖典』七八三頁) といわれるのはそのゆえでした。念仏するのは私の力、浄土へ迎えるのは如来の力というふうに分断してはならないのです。
念仏は如来のよび声
念仏が、私のはたらきではなくて、如来の本願他力の具体的なあらわれであるとうけとるならば、「念仏する」という「おこない=行」は、私の「おこない」であるままが、如来の「おこない=行」であるという意味をもちます。如来の「おこない」とは、なによりもまず如来に背きつづける私をよびさまして、如来のいますことに気づかせ、浄土という、安らかに帰る「いのち」の故郷のあることを知らせるというよびさましの「おこない」です。
法然聖人は、大胡の太郎實秀に与えられた御消息のなかに、
- しかればたれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみす、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こえにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心を、すなわち深心となづく。(*)
といわれています。わが身の善悪をかえりみず、ただ本願のおおせのままに南無阿弥陀仏と称えたならば、その一声一声の名号を聞いて、必ず往生できるとおもいとれといわれるのですから、称えていることは、名号を聞いていることであり、信心がおこさしめられていくことであるということになります。
親鸞聖人は「行文類」の六字釈で、南無阿弥陀仏の南無、すなわち帰命ということばについて、「帰命は本願招喚の勅命なり」というすばらしい解釈をほどこされたことはよく知られています。これは、帰命、南無ということばに寄せて、南無阿弥陀仏とは、如来が私を招き喚びつづけていたまう本願のみ声であるとあらわされたものでした。
のちに蓮如上人は、それをうけて南無阿弥陀仏を、如来のがわからいえば、「われをたのめ、必ずたすける」という意味をあらわしており、したがって、それを聞きうけている私のがわからいえば、「必ずたすかると、弥陀をたのむ」すがたをあらわしているとおおせられました。
南無阿弥陀仏とみ名を称えていることは、そのままが、如来の招喚がひびいていることでもあり、それを聞いてよびさまされているすがたでもあるということになります。すなわち念仏という私の行(おこない)は、本願招喚という如来の行(おこない)であり、私は称えているまま、南無阿弥陀仏とおおせを聞いて信順していることでもありました。
『歎異抄』の第八条で、念仏は行者のはからいをはなれた行であるから、非行非善であるといわれたとき、それは、このような意味をもった本願他力の行であることをあらわしていたのです。