「大綱」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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と、示されたと、御開山は晩年に著された『西方指南抄』に記しておられる。<br /> | と、示されたと、御開山は晩年に著された『西方指南抄』に記しておられる。<br /> |
2024年3月19日 (火) 10:42時点における版
たい-こう
基本的な事柄、大づかみにとらえた内容。大要。
大は、おおもととか基本とか広いという意で、綱はつな(ロープ)のことであり物事の細部を縛ってまとめているという意味である。〔浄土真宗の大綱〕、〔本願の大綱〕などと使う。
浄土真宗は、本願力回向の宗義であるから、同じ言葉を使っても、通仏教(特定の宗派の教理や実践にとらわれず仏教全般を学ぶ意。聖道門仏教)や世間の論理と、その依って立つ論理構造が全く違う。→別途
法然聖人は『醍醐本法然上人伝記』に、後に天台座主になった顕真に、生死を解脱すべき道を問われて、
- 答う。成仏、難しといえども往生は得易きなり。
- 道綽・善導の意に依らば、仏の願力の仰せを強縁となす、ゆえに凡夫浄土に生まると云々。(『醍醐本法然上人伝記』五 大原問答について)
とされ、この土でさとりを開く「此土入聖」の法門と、浄土に往生して証を得る「彼土得証」の法門の綱格の違いについて述べられている。顕真には「その後、さらに言説なくて」とあり、にわかには法然浄土教の大綱を理解できなかったので問答ができなかったのである。法然聖人は問答後の顕真の「法然房は、智恵深遠といえども、いささか偏執の失あり」との言に対して「知らざるの事に於いては、必ず疑心を起こすなり。」と云われれいた。これに発奮した顕真は「浄土の章疏」を学んで
- 「我、顕密の教において稽古を積むといえども、しかしながら名利の為に、浄土を志ざさず、ゆえに道綽・善導の釈をうかがわず。法然房に非ざれば、誰の人か、この如く言わむ。」
といわれた。
法然聖人は、この浄土門の意を、
- 聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる。(『西方指南抄』「浄土宗大意」p.1025)
と、示されたと、御開山は晩年に著された『西方指南抄』に記しておられる。
そして、法然聖人からお聞きしたご法義の究極は、
- 「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。(歎異抄 P.832)
という、ただ、なんまんだぶを称えて浄土に往生するという「念仏往生の願」を受容された御開山は、法然聖人の指示として『選択本願念仏集』の標宗の文を引文しておられる、その大綱を、
『選択本願念仏集』[源空集]にいはく、
「南無阿弥陀仏[往生の業は念仏を本とす]」と。
またいはく「それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣(さしお)きて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛(なげう)ちて、選んで正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を傍(かたわ)らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに」と。(行巻 P.185)
と『教行証文類』に引文されている。通仏教に対して、「閣」「抛」「傍」の三を主張するので「三選の文」として有名なのだが、これが浄土真宗の「大綱」である。「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為本(なんまんだぶ、往生の業には、念仏を本となす)」の「
この本願の大綱を知らずに、自覚としての信心を標榜し「名体不二」のなんまんだぶを称えることを知らない、浄土真宗の布教使という名の存在は可哀想である。
「浄土真宗の大綱」の大綱とは、仏教のパラダイム転換を要求する言葉なのだが、選択という「廃立」を知らない者には意味不明の消息であった。他力の「他」とはわたしなのであった。
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