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2018年5月24日 (木) 19:03時点における版
どんらん
(476-542)山西省雁門の生れ。神鸞とも尊称された。
四論宗や『涅槃経』の仏性義に通じ、『大集経』の註釈を志したが、健康を害して果さず、その後不老長生の法を求めて江南に道士陶弘景を訪ね、仙経を授かった。
帰途洛陽で菩提流支に会い、浄教を授けられ仙経を焼きすてて浄土教に帰したという。東魏の皇帝の尊崇をうけ、并州の大巌寺に住し、後、石壁の玄中寺に入った。その後、汾州の平遥山の寺に移り、ここで示寂した。天親菩薩の『浄土論』を註釈して『往生論註』二巻(『浄土論註』(『論註』ともいう)を著し、五念門の実践を説き、浄土教の教学と実践を確立した。著書は他に『讃阿弥陀仏偈』一巻などがある。七高僧の第三祖。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- →略論安楽浄土義 (道綽禅師は曇鸞大師の著とされている。)
- →WDM:どんらん
参照➡WEB版浄土宗大辞典の「曇鸞」の項目